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『アジアの初等英語教育はどうなっているのか』
第2回「インドの英語教育視察―学びの根源−」

青山学院大学 アレン玉井 光江


3年前、インドのニューデリーにある公立小学校、私立小学校、そしてinternational schoolの英語の授業を見学しました。ここでは、それぞれの小学校の形態を簡単に説明し、視察を通して感じたこと、また日本の英語教育に示唆できることなどを報告したいと思います。

インドでは1年生から5年生(6〜11歳)の初等教育、6年生から8年生(11〜14歳)の前期中等教育、そして9年生から12年生(14〜18歳)の後期中等教育に分けられ、それ以降は高等教育となります。

私立小学校 (Public School)

最初に訪問したのは私立小学校でした。英国式にpublic schoolと呼ばれます。3つの私立学校を訪問しましたが、全てEnglish Medium School、つまり英語で授業が行われていました。訪問した1つの私立小学校Guru Tegh Bahadur third Centenary School を例にとると、生徒数は1,700人、1日8コマの授業があり、4コマ分の授業の後に昼食があり、その後さらに4コマ分の授業があるというものでした。小学校は週5日制、中学校は週6日(第2土曜日は休み)制で、7時40分から8時まで全体集会(学年によって曜日が異なるが、基本的には週2回)があり、8時から15分間はホームルームでした。主要科目は英語、算数、科学(6年生では科学と社会に分かれる)です。英語の授業は毎日あり、他の全ての授業も英語で行われていました。

全体的な印象は英語のアクセントが強く、例えば理科の授業でbird featherと言われていたと思うのですが、私にはどうしてもbird teacherに聞こえてしまいました。そこで失礼な質問だと思いましたが、あえて「英語のアクセントについてどう思われますか?」と校長先生に聞いたところ、(訪問した学校の校長先生方は全員教養のある国際言語としての英語※1を話されていました)、「そうですね。イギリス人はとても強いアクセントで話しますよね」と言われ、二人で大笑いしました。つまり校長先生から言わせると、なまっているのはインド人ではなく、イギリス人のほうだというわけです。この国では英語をinternational languageとしてだけではなく、intranational languageとしても使用しており、私が聴いているHinglishと呼ばれる独特の英語は、まさしく彼らの言葉であり、英語は借りてきた言葉ではなく私たちの言葉だというプライドを感じました。ちなみに4年生の児童が英語の時間にペットについて書いていた文を記録しておりましたので、ご紹介します。題は「My Pet ―Rabbit」です。

「I chose him because they have a small pet and it colour is white and it has small tale and he So sweet. No His hot physical features he live in house he eat carrots: That's I love this pet.」全体的に正確性に欠け、教えられたパターンに従ったものではありますが、ディスコースレベルでのライティング、つまり「意味を創造」するために2文以上を書く力を有していることに驚きました。

公立小学校 (Government School)

次に訪れたのはヒンズー語で授業が行われていた公立小学校Sardar Amar Singh Sher-I - Punjab Khalsa Schoolでした。この学校ではシーク教の子どもが多いこともあり、必修は数学、科学、ヒンズー語、英語、そしてシーク教徒の言葉であるパンジャブ語でした。経費の95%を国からの援助でまかなっており、児童、生徒の教科書、制服、そして文房具まで国から支給されていました。全体で750人の生徒、1クラス40人、40分授業で1日6コマの授業が実施されていました。英語の授業は毎日最低1コマあり、週2回は2コマあるので、合計すると週7コマの英語授業があり、学級担任が4年生から教えていました。英語の時間もヒンズー語が使われていましたが、教科書自体が英語とヒンズー語で書かれており、見学時の授業では物語を読んでいたのですが、パラグラフごとに英語とヒンズー語の訳が書かれていて驚きました。基本的には英語の部分を先生が読むという授業形態だったので、通常どの程度ヒンズー語が使われているのかはわかりませんでした。

International School

今回の訪問の最後にインドでも有名なTagore International Schoolを訪問しました。International Schoolはインドの教育省や州政府の機関の管轄下になく、自由なカリキュラムを組んでいます。この学校では国際バカロレアが取得できるようになっていました。この学校の近くに French, American, British, Germanの学校があるので、このInternational Schoolに来ているのはほとんどがインドの子どもたちでした。1,800人の生徒のうち障がいを持つ児童が50人、海外の子女が45〜50人(13カ国より)いました。103人の専任教員とドラマなどを教える15人のパートの先生がおられ、必修科目は1年生から5年生まで科学、数学、英語、社会(環境、衛生、地理)、6年生から8年生では、ヒンズー語、英語、数学、科学、そしてサンスクリット語、フランス語、中国語から1つが選択科目になっていました。全盲の子どもたちが一般の子どもたちとともに学習しており、先生方は機能障害について研修を受け、早期発見ができるように努めておられました。

小学校3年生(男子29人、女子12人)のクラスでは円形のテーブルに子どもたちがグループで座り、iPadを使いながら共同学習していました。行われていた学習は単数形から複数形を作るというもので、例えばboy ⇒ boys、 wife ⇒ wivesのように複数形に変換させる問題に取り組んでいました。vowel(母音)、 consonants(子音)というメタ言語的な言葉も使って授業が行われていました。先生はルールを説明した後に各グループを回り、課題を解決する援助をしていました。そして最も衝撃的な授業は9年生の英語のクラスでした。文学的な読み物を通してIs it wrong to know too much?というテーマについて見事な話し合いをしており、彼らの基本的な英語力とともにacademic Englishを成り立たせる語彙の深さに驚嘆しました。おそらくはEMIの授業を通して小学校段階からかなりの英語に触れ、4技能を伸ばす指導を受け、語彙力を発達させてきたのだと思います。豊かなインプットは言語学習には不可欠で、インドのようにとまではいかなくとも、日本で学習者が多量の英語に触れる環境をどのようにすれば作り出せるのか、深く考えさせられました。生徒たちはこの学校を卒業した後、世界の大学を視野に入れて将来を考えていくそうです。この国のエリート集団の英語力の高さに心底驚きました。

教育の原点−人は学ぶために生きている−

インドは本当に衝撃的な国で、日本人学校に勤めておられた先生が「インドは大好きになるか、大嫌いになるかのどちらかです」と言われた意味がよくわかりました。悠久の昔を思い出させる多くの遺跡、そしてIT産業の成功で近代的に生まれ変わっている街並み。路上で生活している多くの子どもたち。路上を闊歩する水牛たち、幹線道路で荷物を運ぶ象やラクダ、そして日本の町では見られない道路に散らばるゴミ。しかし、この国で私は教育の原点を見る経験をしました。それは公立小学校での英語の授業で見た光景でした。

狭い教室に40人の児童が、1つの机に2〜3人ずつ座り授業を受けていました。クラスには電灯はなく、暑いのに天井に扇風機が1つあるだけ、教室は40人もの子どもたちの熱気でさらに暑くなっていました。ITはなく、自分の声だけを頼りに授業をしていた先生。国から支給された教科書を使っているということで、よく見ると表紙の色が異なる教科書を使っている児童もいました。内容は同じようですが、若干書かれていることが異なっていました。先生は英語を音読し、大切な単語に下線を引くように指示を出しているのですが、異なる教科書(恐らくは前年度のものだと思われます)を持っている児童は、当然ながら所々わからなくなるのです。そのたびに手を挙げて先生に助けを求める女子児童がいました。先生は授業を中断するわけにはいかないので、最終的にはその子をよくできる女子児童の横に座らせました。そのよくできる子は、とにかく弾丸のように早く話す先生の英語についていくのに必死で、やさしく彼女をガイドするわけでもありませんでした(と私には見えました)。席を替わるように言われた児童はよくできる子の教科書を肩越しに見ながら、必死に教科書を読んでいました。私は日本でこのようなことが起こったらどうなるのだろうかと考えました。まず、教科書を忘れて学校に来た子どもを先生方はどうされるのか? 今の日本の児童は、この子のように席を替わりなさいと言われて、素直に従うのだろうか? また、級友から冷たくあしらわれたことで傷つき、勉強どころではなくなるのではないだろうか…と。インド、またこの学校文化を知らない私ですので、見方が一方的だと思いますが、とにかく最後まで英語を学習するために全身を傾けていた意気込みを彼女から感じたことは確かです。彼女は全身を使って学んでいました。学校は学び舎。それはとても美しい光景でした。日本の国語教育研究家である大村はま先生がよく言われていた戦後の日本の子どもたちの学ぶ姿と重なりました。人は学ぶために生きていると彼女から、教育の原点を教えてもらいました。そして彼女のあの大きく美しい瞳は、今でも私の心の中で輝いています。

※1国際言語としての英語…言語使用地域の違いなどを超えて、英語を使う全ての人が理解しあえるわかりやすい英語

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