サソ
≫ARCLEについて|Outline≫ECFとは|About ECF≫研究ノート・研究会レポート|Reports≫英語教育研究・調査|Data Base≫書籍・発刊物|Data Base

≫このページを印刷

第1回研究会レポート
中高一貫校における英語教育の射程:智学館を事例にして
慶應義塾大学 田中茂範


「智学館」とは学校法人常磐大学智学館中等教育学校で、茨城県水戸市に2008年4月に開校した中高一貫6年制の私立学校です。こちらの学校では実践的な英語教育を行っています。今回は、カリキュラムの策定から参画された慶應義塾大学の田中茂範先生に、智学館を事例に、英語教育の具体的な目標や、先進的な取り組みについてお話いただきましたので、その一部をご紹介いたします。

「多文化を生きる」時代の英語教育

英語教育、つまり言語教育を考えていく場合、それを取り巻く時代状況をどう伝えるのか、どのような目標を設定するのかということがカギになります。目標のないところに英語教育のノウハウを導入してもだめだと思うのです。私は「多文化を生きる」という言葉に集約されているのが今の時代状況だと考えています。英語で言えばliving multiculturalismですが、このlivingは、動詞liveを他動詞として使っています。そこには原理とか、ある考え方とか価値を積極的に取り入れるという意味が込められています。

多文化を生きる状況の中で、我々が英語教育を考えるうえで大事なことは、いわゆる文化同士が共生するわけではないということ。つまり「異文化コミュニケーション」というのは、必ずそこに人がいる、「個」があるわけです。そうすると「個の視点」から、この多文化共生ということを考えていかなければならないと思います。

智学館における英語教育論

そのような時代状況の中で、智学館で英語教育を展開するにあたって、やはり教育論がなければいけないと思いました。智学館では、「人間の尊厳を大切にし、世界的視野で考え行動できる人材を育てる」ということを1つの基本理念として据えています。これを、教育に関連した言葉として、具体的に何をどうするのか、それを徹底的に考えていくわけです。この理念を達成するために不可欠なのが心身のバランスということで、これまで知育、体育、徳育、食育ということが言われてきましたが、「夢育」つまり「夢を育む」という概念はありませんでした。今の子どもには夢がない、と言われますが、夢を育めるような教育を考えていかなければと思います。

また、生徒はどういう立場なのか、ということを考えると、「探検者、探索者」ではないかと。つまり、学びの世界を探検、探索するのが生徒であるということです。そこからexplorerという概念が生まれ、“Explore the world”という智学館の教育理念が生まれました。智学館独自の英語教科書のタイトルも『Explore the E-World』(英語の世界を探検する)としたのです。

「世界的な視野で行動できる人間」、これは別に珍しい言葉でも何でもない。しかし、それを単なるかっこいいキャッチコピーではなく、実践にもっていくには一歩踏み込まなければならない。これが新しい視点です。それは自分の立っている位置(視座 standpoint)から、世界をみる視点(viewpoint / perspective)を得ることで、視野(view scope)を広げ、新たな地平を拓くことです。これが、1つの教育目的でもあるのです。

智学館における教育実践を支える指導原理

ある活動を授業でするとき、先生方は、なぜ今それをするのかの自覚を持たないままやっている場合がとても多いことに気がつきました。英語の置き換え練習や、穴埋め練習、ロールプレイはいったい何のためにやっているのか、それをやることによって全体がどうなるのか説明ができない。つまりアカウンタビリティのないエクササイズや実践が横行しています。そのため智学館では、先生方が自分たちの教えていることを自覚するための指導原理を明らかにしようということになり、それを以下のように定めました。

【指導原理】
オブジェクティブズ(Objectives)
・awareness-raising / networking
・production / comprehension
・memorization / automatization
マテリアルズ(Materials)
・authenticity
・meaningfulness
・contextualization
メディア(Media)
・primary media
・instrumental media

まずObjectives(目的、目標)では、「なぜ今この活動をやっているのか」ということを自覚する必要があります。具体的に説明していきますと、awareness-raisingは、なるほどという気づき、networkingは教科内での知識の関連づけや、教科間での関連づけというような知識の体系化を指しています。productionは自己表現のことで、身体表現もあれば言語表現、数学表現、英語表現もあります。comprehensionは、教科の中身を理解する、他者のことを理解する、違いを理解する、英文を理解すること。memorizationとautomatizationは記憶と自動化のことで、覚えるという行為を促す訓練の必要性と、それをさらに自動化する、身体化する、暗黙知化する訓練の必要性を意味しています。

それからMaterials(素材)についてわかったことは、authenticなものがいいということです。やはり人工的なものは本物にはかなわない。authenticなものというのは、1つはcultural authenticityで、たとえばアメリカ人にとってauthenticなもの。もう1つはlearner authenticityで、学習者にとってauthenticなもの。さらには、テキストそのものがauthenticなものもあります。たとえば、シェイクスピアの『ハムレット』の全文を出せばauthenticかもしれないですが、学習者は理解できない。でも “To be or not to be, that is a question.” を取り上げてbeの使い方を説明しようとすれば、usageにおけるauthenticityは確保されます。このauthenticなものについてもう少し言うならば、有意味である、meaningfulであるということが大切です。このmeaningfulには、生徒がおもしろさを感じる内容のもの、理解できる内容のものの2つの意味があると思います。

Materialsについてもう1つ。これは非常に重要なことですが、contextというのは言葉をみればわかるように「textと共にある」ということで、絶対に切り離せないわけです。そのcontextの中に社会的リアリティや、個人化したもの、つまり自分との関わりとか生活との関連があるものとしてmaterialsが提示されることが必要です。具体例を1つ挙げると、中学生だったら「この1週間で家のお手伝いを何度したかを報告する」というタスクを与えます。たとえば “Clean the house / Do laundry / Make your bed / Wash the dishes / Cook dinner”などです。それを、生徒が完了形を使って報告するわけです。やっていなければneverを使います。かなり文脈がパーソナライズされていますよね。 “Have you been to China?” “Yes, twice.”という会話は個人の文脈と関係ない場合、その会話自体は生徒にとって意味がないのです。

最後にMedia(メディア)について言うと、私は「教室を開き、世界とつながる!」というのをキーワードにしています。教室というのは閉じた空間でauthenticではないため、下手すると白けてしまう。でも、インターネットによって世界のあらゆるところとつながるので、ものすごくauthenticな場になることができる。そのように場を切り開くのがMediaの力だと思います。

まとめると、智学館における教育実践というのは「教室を開き、世界とつながる!」。白けない教育(authentic education)のために地域とのつながり、国内各地とのつながり、世界各地とのつながりを実践する。これが視野の拡張へと通じていくのです。

「英語は誰でもやればできる」のために

生徒たちにはまず、「英語はできて当たり前」の社会になっていることを伝えることが大切です。世界中の重要な情報が英語で発信される時代にあるので、英語ができるかどうかで、得られる情報に格差が生じてしまいます。ビジネスの場でも、個人のレベルでも同じです。一方で、英語ができれば世界中の人と友達になることもできる。外国語を新しい表現のツールとして身につけると、表現の可能性はどんどん広がっていき、一生涯役に立つものなのだということを生徒たちに強調することが必要です。

さらには「英語は誰でもやればできる」ということ。進度の個人差はあるけれど、英語は自然な言葉だから誰でもできる。逆に言えば、できたからってどうってことはない。頭がいいわけでも何でもない。ある環境、状況さえ整えば誰でもできるということです。それは例えば外国人力士の日本語をみれば明らかです。

それでは何を学ぶのか。これも非常に明快でECF1の理論に基づいています。ここでは、どのようなtaskをどのようなlanguage resourcesを使ってどれだけ効果的に、あるいは機能的にhandlingするかを学びます。具体的には、人間関係をつくるためのtask、気持ちを伝える、何かを要求する、指示するといったtaskをどのようなresourcesを使って行うのかを学んでいきます。ここでいうresourcesとはルールのことで、どのような単語と決まり文句と文法を使うかということです。

次にどう学ぶのか。焦らず、慌てず、諦めないというスタンスが絶対に必要だと思います。じっくり楽しみながら学ぶ。身につけるためのマジックというのはないのです。努力するしかありません。努力とは何かというと、「目標を決めて続ける、進む、達成感を得る」ということです。そこに、「ニーズを分析する」「実力を診断する」「達成度を測る」の3つの評価がセットになっている必要があります。具体的な学習の進め方としては、まとめてやるより、毎日少しずつやる。それから大きな声を出して読む。単語は覚える必要があるけれど、結局パターン認識なのであって、慣れていくことによって、感覚的に語の形成のあり方、フォーメーションを身につけていきます。初めはなかなかうまくいかないのだけれど、努力していると「雪だるま式効果」というのが生まれるということを生徒たちに信じ込ませることが有効です。実証的に検証したわけではないのですが、ある時を超えると雪だるま式に効果が出て必ず一挙に伸びるから、と信じ込ませると子どもは頑張るのです。

「素地」、つまり生徒たちの英語学習への「心のありよう」がしっかりしていれば、学習者は教師から与えられる内容をただ受容するだけの学習者ではなく、「探検者、探索者」である学習者としてふるまうことができます。そしてこのような健全な「素地」を育成するためには、英語を単なる言語学習としてではなく、authenticな活動の中で、生きた言語として体験し、使うということが求められるのです。

田中茂範先生からのコメント

新しい英語教育の試みを行ってみて、中学生の学習能力のすごさを実感しております。「1年生だからこの程度だろう」というのは、われわれの先入観でしかない、という気づきです。本物でおもしろいものを提供すれば、単語の難易度、構文的なむずかしさといったことはあまり重要ではないような気がしています。


↑ページトップへ