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第2回 研究会レポート
詳細:「上智大学・ARCLE応用言語学シンポジウム2010:
英語の授業を変える‐発問で引き出す学習者とのインタラクション‐」



第2部 シンポジウム
「英語の授業を変える―発問で引き出す学習者とのインタラクション―」
コーディネーター 吉田 研作(上智大学)
パネリスト(発表順) アレン玉井 光江(青山学院大学)
根岸 雅史(東京外国語大学)
金森 強(松山大学)
田中 茂範(慶應義塾大学)

(敬称略)


シンポジウムでは、小・中・高校段階での発問についての実践のあり方、また、理論的な枠組みの視点から、各先生方より発表がありました。その後のディスカッションの一部も併せてご紹介します。


吉田 基調講演では、一般的な立場から「発問」について、質問だけの問題としてではなく、いかにして相手から言葉を引き出し、コミュニケーションを促進していくかという内容でお話をさせていただきました。この後は、具体的に、小学校、中学校、高校、さらに理論的な枠組みから全体を通したお話をそれぞれの先生にしていただき、その後にパネルディスカッション、フロアの皆さんとのディスカッションを行います。

公立小学校―学びを育てる英語活動、教室活動の質を考える
青山学院大学 アレン玉井 光江

小学校5年生から週1回は、アジアの中で日本だけ

小学校での外国語活動は、ご存じのように2011年度から5、6年生に週1回という形で入ります。それに向けて文部科学省は『英語ノート』を作りました。教科ではないので、評価は数字では表しません。教員研修は、各小学校で選ばれた1名を中核教員として25時間、その中核教員がそれぞれの学校に戻って校内研修という形で残りの教員に30時間程度行うことになっています。これは、同じように学級担任が英語を指導している韓国と比べて非常に短い研修時間です。

いわゆる子どもを対象にした英語教育というのは、過去25年ぐらいで世界中に広まっていますが、アジア各国の状況を見てみますと、5年生以上で週1回というのは日本のほかにはありません。遅くとも3年生から週2回というのが多いようです。これまで唯一ベトナムが5年生からでしたが、2011年度からは3年生以上に週3回となるそうです。

19年間変わらない「買い物ごっこ」「道案内」

『英語ノート』の中身について、1つ例を挙げてみます。いわゆる「買い物ごっこ」の場面です。机の上にいろいろな物の絵が描かれたカードが置いてあり、1人の子が店員役でエプロンをつけています。そこにお客さんがやってくるのですが、会話は次のようなものです。

“Do you have a red cap?”
“Yes, I do.”
“Here you are.”
“Thank you. Good-bye.”
“Good-bye.”

絵カードは児童が皆持っている『英語ノート』の巻末についていて、切り取って使うようになっています。ですから、子どもたちは明らかにred capがあるのを知っていながら“Do you have a red cap?”と聞かなければいけない。そして、お客さんのほうが“Thank you. Good-bye.”と言っているのに、店員は“Good-bye.”としか言わない。なんだか少し変ですよね。公立小学校での外国語(英語)活動は1992年から実験的に始まって、間もなく19年経ちます。その間、私は何度「買い物ごっこ」「道案内」を見たかわかりませんが、この19年間変わっていないのです。

「コミュニケーション重視」の授業の落とし穴

今、日本の小学校での、英語を中心にしない、スキルを教えてはいけないと言われている外国語活動には2つの大きな誤りがあると思います。その1つは英語に慣れていない子どもに英語を言わせること、もう1つはリテラシー教育はタブーであるということですが、今回は前者について考えてみます。

「コミュニケーション」ということが前面に出すぎて、とにかく言わせればいい、というような授業が多いように思います。ここに発信中心授業の落とし穴があります。言葉というのは、たくさんの意味やインプットがその人の中にどんどん溜まっていって、ある時点でそれが溢れ出てくるようなものであると思います。ところが、今、日本の小学校で行われているのは、文脈や状況に関係なく、単に“Do you have a red cap?” “Yes, I do.”を言わせたいといったものが多いのではないでしょうか。ですから、「なぜ“Do you have a red cap?”を言わなきゃいけないんだろう」「別に興味ないし」という子どもが、高学年になればなるほど増えてくるのです。

意味のある文脈の中での言語材料提示を

ではどんな授業が学びを育てていくのでしょう。まず、子どもの興味・関心に合わせて意味のある文脈の中で言語材料を提示します。そうすると、言語材料も難しくなったり量も多くなったりしますので、子どもからの発話というのはあまり望めません。でも子どもの頭の中でinner speechが出てきます。日本語も含めていろいろな言葉が発生してくることを、私は授業で感じています。子どもたちの中で「へえ、そうだったんだ」というちょっとした驚きや感動が生まれます。そうすると、見た目にはやる気のなさそうな子も、「ふーん、わかった。言ってみたいな」というような気持ちになるのです。ただ、そのときに気をつけなければいけないのは、子どもたち同士のインタラクションは、彼らがreadyになるまでさせないということ。つまりたくさんのインプットを与えていくことが大事です。そのためにはやはり指導者に英語力が必要で、その点が大きな課題であると思っています。

学びを育てる授業活動を考えたときに、言葉には3つの機能があり、それは「伝達機能」「思考機能」そして「行動調整機能」だと言われます。私は、この中の「思考機能」、つまり、ちょっと考えてみるということを授業に入れる必要があると思います。

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中学校での授業展開―リーディングを中心に
東京外国語大学 根岸 雅史

アメリカでは当たり前な「白熱教室」

中学・高校の授業を見せていただく際に一番感じるのは「教室が静まりかえっている」ということです。どこの教室に行っても先生が1人でしゃべっている。私の印象で言えば、授業の90%はティーチャー・トークです。少し前に話題になった『ハーバード白熱教室』、ご覧になった方も多いと思いますが、あの原題を見ると、“Justice with Michael Sandel”で、「白熱」という言葉はどこにも入っていない。あの授業はもちろん人気の授業であることは間違いありませんが、アメリカであればあのようなスタイルというのはごく当たり前なわけです。けれども、そのような授業が「白熱」しているように見えるところが日本の現状なのです。

さて、リーディングの授業について考えると、吉田先生がおっしゃったdisplay、referentialとつながっていますが、教師というのはあたかも読み物の書き手のような立ち位置なんですね。本文の内容について質問していますが、教師はもう答えを知っているので、何か生徒に答えてもらって「ああ、そうだったんだ」という新たな発見は教師にはない。質問された生徒が間違える、そうすると先生は“Next.”と言って次の生徒が答える。また間違える。先生は「誰か正解を出してくれ」みたいな雰囲気になって、ようやく正解が出る。そうすると、“Good.”と言って次の質問に行ってしまう。間違えた生徒たちはそこで置き去りです。

また、先生が「グループでディスカッションして考えてごらん」「ペアで考えてごらん」と言ってやらせていますが、私の印象としては、生徒の中に「そんなのいいから早く答えを教えてくれよ」「友達の意見なんか聞いてもしょうがないよ」といった雰囲気を感じます。

read the lines, read between the lines, read beyond the lines

リーディングの質問について考えてみましょう。Eddie Williamsはリーディングの質問を3つのタイプに分けています。1つはread the lines、文字どおりの理解です。それから次がread between the lines、文レベルにまたがる理解を求める質問です。そして最後がread beyond the lines、これには正解、不正解があるわけではなく、読み手が自由な解釈を行うものです。このような投げかけがあると、もう少し授業が「白熱」するのでは、と思います。

例を紹介します。現行版の『New Crown 2』(三省堂、2006)という教科書に載っているものですが、カモメと猫が出てくる話です。カモメは卵を残して死んでしまい、死ぬ前に猫に3つのお願いをします。その3つとは(卵を)「食べないでくれ」「面倒を見てくれ」そして「飛び方を教えてくれ」というものです。そこで示されている質問は、「カモメはどんなお願いをしましたか」や、「猫は卵をどうしましたか」などで、どれも本文の中に書かれていることを探せば答えがわかります。ここでbeyond the lines的な質問を考えると、例えば「3つのお願いのうち、猫にとって一番難しいのはどれだろうか」というのが考えられます。「どれも猫にとっては難しい、でも自分ができないのだから『飛び方を教える』のが一番難しいのでは」等、いろいろな意見が出るはずです。それから、カモメが死んだとき猫はどう思ったか、という質問も可能でしょう。多くの場合、たった1つの正解を探すわけですが、必ずしも正解は1つではない、いろんな解釈があってよい、そこで議論をしてどれが一番いいだろう、というようなことを考えるのは、大学に行っても社会人になっても必要なスキルだと思います。

information gapということをよく言いますが、好みの違いや意見の違い等をうまく利用すると、さらにまた発問が豊かになってくるでしょう。そうすると、教師の答えも1つの可能性でしかなくなるので、教師の権威が失墜してしまうのではないか、という意見が出てくるかもしれません。でも、教師の立ち位置というものをもう一度考えてみて、生徒と同じ1人の読み手として読むことも、時にはよいのではないでしょうか。そういうことをしないと日本の中で「白熱教室」は実現しないのではと思うのです。

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高等学校での授業展開
松山大学 金森 強

「聞く、聴く、訊く」のプロセスを大切に

授業では「聞く、聴く、訊く」を押さえていただければ、たぶん成功するだろうと思います。まず、大まかにどんな話なのか、全体の流れを把握するための「聞く」があり、次に必要な情報をしっかり取るための「聴く」があります。そして自分自身に「訊く」ということ、つまり「考える」と同時に、話し手に「訊く」ということを意識させるようにする。いつもこの3段階で授業を考え、つくっていくことが大事なのですが、今までは多分「聴く」までで終わっていたのではないかと思います。ですから、最後の「訊く」に至る授業をいつも心がけていただくとよいのではないでしょうか。

丁寧な指導から活動へと導く

実際、高校での授業を拝見すると、多くの高校では予習をさせ、授業では予習した内容が合っているかどうかをチェックするだけで終わってしまう。これでは教えていないのと同じです。学習者ができるように導くためのやさしい流れをつくることが大切です。そのために、まずはスキーマを与え、内容に興味を持たせる。これはとても大切なことだと思います。残念ながら、英語の成績は上げたくても、本当に英語でコミュニケーションをとりたい、英語を学びたいという子どもは多くはない。せめて授業中だけでも英語に興味を持たせるには、やはり内容が大切です。「今日はおもしろいことがありそうだ」「先生何やるんだろう」と思わせない限りは、おそらく授業には積極的に参加してこないのではないでしょうか。次に、内容に興味を持ったとしても、読む場合も、聞く場合も、言語材料に慣れていないと、内容がわかるはずはありません。先ほどのplus one dialogueにしてもstrategic dialogueにしても、先生方の中には「言語材料が理解できていないのに、うちの生徒にはそこまでは無理ですよ」とおっしゃる方もいると思いますが、やはりそこで言語材料に対するスキーマも与えておかないと、内容理解や発信まではできないと思うのです。聞こえる、読めるようになるからこそ、少し先に行けるのです。必要な情報を取る活動があり、さらに全体の深い内容理解があって、そこから単なる本文に書いてあることだけではなく、もう一歩進んだことを理解する、あるいは発信するということが起こってくるのだろうと思います。そこにcritical thinkingが起こるような題材を持ってくる、あるいはそういう指導方法をとっていただくと、生徒たちは考えながら次の段階につなげていくことができると思います。

生徒に身近な題材を教材に

ところで、日本のアニメは世界中で放映されていますが、英語でのタイトルはどんなふうにつけられているのでしょうか。実例を示してみます。 “Kimba, the white lion.”これは簡単ですね『ジャングル大帝』です。次はどうでしょうか。 “Nobody's Boy?Remi.”そう『家なき子』です。このように「みんなも日本のテレビ番組を英語に変えてみよう」といった活動では、生徒たちはおもしろがっていろいろ考えを出してくれると思います。

その日の題材に興味を持ったら、次はさらに進めるための動機づけが必要です。まずは、既習の言語材料を使って、“Do you like ‘Sazaesan’?” “Yes, I do.” “No, I don't.”と言うような簡単に答えられるところから入り、少しずつ難しくしていきます。このようにしていかないと子どもたちは声を出しません。最初から突然、難しい質問をされても答えられないからです。

さらに発展させて、例えばsummaryやQ&Aがあったり、内容に関する会話をさせたり、さらに進んで、ディベートや、スピーチをさせたりするのもよいでしょう。書かせることも必要ですから、日記や手紙、カード、ブログ、新聞や英語俳句、ポスターをつくる、長い時間をかけられるのであればエッセイや短めのレポートを書くなど、いろいろな目的を持たせて書かせることをお勧めします。そうすることで、発信のためにどんな表現が必要なのか、どういう言語材料を使うのか、リスニングやリーディング活動において、生徒自身が意識しながら必要な語彙やフレーズ、コロケーション等を学ぶということが起こってきます。

生徒が「何を知ったのか」ではなく「何ができるようになったか」

内容については、生徒の身近な場面に引き寄せて、そこから広げていくことが大切です。また、先生方が考える、生徒に伝えたい価値観や育てたい生徒像のほうへ持っていっていただきたい。例えば平和について考えさせたかったら、いきなりマザー・テレサを持ってくるのではなくて、もっと身近な、教室の中での平和、家庭の中での平和というところから入る。その際に、これからの時代、国際補助言語としての英語という意識、さらには言語や文化の相対性というものを指導するという意識を持っていていただければと思います。中学生、高校生全員が、英語が堪能である必要はないと思います。ただし、これから日本にはいろいろな国の人が移民として入ってきて、その子どもたちも日本で一緒に暮らしていくことになるでしょう。その人たちと一緒に暮らしていける、受け止められるだけのintercultural communication skillsは全員、持っていてほしい。外国語教育、あるいは英語の授業を通して、子どもたちがそういう人間になれるのであれば、それは外国語教育のすばらしさだと思います。そこを先生方が忘れてしまい、英語さえ教えればいい、発音がネイティブスピーカーのようになればいいと思ってしまっては、外国語教育のよさは語れないでしょう。

「黒板とチョークと私」からの脱却

また、先生方にはこれまでの黒板とチョークからは脱却していただいて、いろいろな教材、教具をつくっていただきたいと思います。デジタル教材だけである必要はありません。時間割も50分間ではなくて2コマ続けてやったほうがよい場合や、あるいは他教科とのクロスカリキュラムでやったほうがいい授業になることもあると思います。大切なのは、生徒が英語に触れる時間を増やすことですから、そのためには楽しい宿題をつくることも必要でしょう。そこでプロジェクトや協同学習が生まれるような仕組みをつくっていただきたいと思います。そして、これから、教師の役割として、生徒が「何を知ったのか」ではなく、「何ができるようになったのか」がポイントになっていくと思います。これまでの言語材料、知識中心ではなく、これからは内容を理解して発信するために言語材料や知識を活用するということを、授業の中で、あるいは授業以外でも起こしていくような工夫を先生方にお願いしたいと思います。

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コミュニカティブな英語教育における発問力
慶應義塾大学 田中 茂範

発問の3つの機能――対人関係、情報収集、意味形成

外国語教育の成否を決める条件というものをかれこれ20年ぐらい考えているのですが、やはりlanguage exposureの質と量、そしてlanguage useの質と量、さらにもう1つ、urgent need、つまり切迫した必要性があるかどうか、ではないかと思っています。このような考え方をベースに教室内活動を活動型にし、活性化するための手段としての発問について考えてみます。

では発問行為とは一体何か。まず「疑問を持つ」→「質問文や疑問文をつくる」→ 「それを発問する」、これは言語行為です。そうすると、まずは疑問を抱かなければいけないし、抱いたものを調べることもそうですが、質問として形をつくり、それを投げかけていく。こういう一連の流れが発問行為だろうと思っています。

英語教育における発問の機能を考えると、1つは「対人関係interpersonal function」、つまりいろいろな人間関係を形成したり維持したり調整するために、人と人との関わりの中で、相手との関係性の中で発せられるものがあります。次に「情報収集information gathering」です。そしてもう1つ大事なのが「意味生成meaning-creating function」つまり自分が何かに問題を抱いて、そして発問するということは新しい意味やアイディアを生む力になっていく。それはまさにmeaning-creating functionであり、発問というのは非常に豊かな機能性を持っていることを教師は押さえておかなければいけません。

発問の条件――本物であること、意味があること、身近であること

教室で生徒とのやりとりにおいて、教師が発問の働きを理解した上で考慮すべき条件は、まず「本物authentic」であることと、「意味があるmeaningful」であることです。このmeaningfulには2つの意味があって、それはcomprehensiveでinterestingであること。つまり生徒の理解が可能であって、なおかつ興味をひくものでなければならない。そしてもう1つが、「身近であるpersonal」こと。これらが非常に重要な条件であると思います。

特に中学校の場合、疑問文のつくり方やその答え方、つまり形式にばかり注意が向けられて、発問の持つ力は軽視されてしまっている。逆に言えば、生徒が英語に言葉としてのリアリティを感じられないものが多い。例えば、“Is Taro happy?” “Yes, he is. /No, he isn't.” というやりとり、あるいは“Does he like playing soccer?” “Yes, he does. /No, he doesn't.”というやりとりがよくあります。これはpersonalでもauthentic でもなければ、あまりmeaningfulでもありません。現実の場面としては「やはり幸せだと思う」「残念ながら幸せではない」「多分ね」「疑わしいね」など様々な答えがあるでしょう。これをresponding strategies と呼んでいますが、そのstrategyを身につけなければ、authentic で meaningful で personal なQ&Aにはならないと思うのです。

自律した学習者をどう育てるか

よく自律した学習者、autonomous learnerということを英語教育関係者は口にします。このautonomyについて、Silent Wayを開発したGattegnoは、independence、responsibility、autonomyの3つを非常に重要な概念として、学習者中心の教育の要にしています。その中でのautonomyとは、自分で選択肢を持って、自分で考え、判断し、行動することです。そのときの選択肢があるかどうかがカギであるとしています。

例えばイエスともノーとも言えない状況というのがあります。“Yes and no.” “Sort of.” “ More or less.” “In a sense.” “It all depends.” “It's up to you.”など。例えば、タケシという相手がいて、“Are you going camping this weekend?” と聞いたときに、“Yes, I am.” “No, I'm not.”と言ってしまえば、それ以上会話が進展しない可能性があります。ところがそのタケシが“It all depends.”と答えたときに、“It all depends on what?”“It all depends on who's coming, where the site is and what time we're coming back.”となれば、この“It all depends.” が反復されているだけでなくて、会話が自然な形で反復されていきます。

さらにはWH-questions あるいはW-questions やH-questions という質問がありますが、why とhowは返答が非常に難しいケースがあります。しかし、返答で黙ってしまうと、おそらく、「ああ、こいつはわかってないな」と解釈されてしまいます。そういうときには「難しい」ということを英語で表現する。これもresponding strategy です。例えば、“Could you be more specific?” “That's a good question.”とか。本当は答えられないけれども、その場をしのぐ。このようにresponding strategy を持たせるということが、広い意味でのautonomous learnerへの1つの手助けにつながります。

応答困難な状況であっても、表現のコマをいくつか持って、そのレパートリーの中で戦略的に自分が選択できればとてもautonomousです。これは小学生だから、中学生だからできないのではなくて、どんな学齢の学習者でも可能だろうと思います。つまり会話調整の能力ともつながっているのです。

read and reactを教科書作成、授業のカギに

20年以上検定教科書の作成に関わっていますが、これからの教科書作成で何がカギとなるのか。私が考えているのはread and react です。このreadというのはlistenも含めても構いません。take and react と呼んでもいいでしょう。テキストを読む、そこから何らかのreactionを行う。つまり、これからの英語教育ではand reactの部分、ここをどこまで実践できるか、これがカギだろうと思います。

readについては、先ほど根岸先生からread the lines, read between the lines, read beyond the lines という3つの話がありましたが、reactについてはreporting、summarizing、commentingの3つの側面があると思います。reporting というのはfactとopinionということから言うと、明らかにfact statementです。態度としては「報道」的なレポートですね。つまり直接・間接話法的な語り口を基本的にはとるわけです。

もう一方のcommentingというのは完全にopinion です。テキストについてどう感じたかを表現する行為であり、完全に主観的な語りと言えます。その中間のsummarizing というのは、どういう観点で、何を重視したのかという主観が入る意味においてopinion ではあるけれども、テキストそのものに依存しているということにおいてはfactual であり、その中間のところに入ります。

問題はこのreactingと発問ですが、生徒にテキストと対話をさせる際に、下準備として発問を投げかける。それからsummarizing のための発問、commentingのための発問ということを自覚した上で発問を考えてはどうでしょう。例えばreporting のための発問はテキストについてはYes/No、A or B、5W1Hの形式で、これに対する回答が、テキストを意味世界として再構成するときの素材となっていく。それから同じくsummarizing というのは何が主題なのか、重要な箇所はどこなのか、どういう意味構造になっているのか、などの点に照準を当てて発問することで、生徒はsummarizing の仕方を学ぶだけではなくて、summarizing を実践するための素材を得ると考えます。それからもう1つ、commentingを促し支援するための発問です。つまり、印象に残ったものは何なのか、意見に賛成か反対か、自分が主人公の立場だったらどうするか等々、個々の発問を投げかけることで、生徒がcommentingというまとまった言語行為を行う流れをつくり出すことができます。こういうことを心がけることで、おそらく発問が授業とリンクしてくると思います。

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パネルディスカッション

物語を使って意味あるフレーズを定着させる

アレン 先ほど『英語ノート』では言語材料が繰り返されるということが非常に少なく、また音声だけで、文字が入らないので、1回1回の授業で入れられる英語量が非常に少ないこと、その中では言葉としての育ちを期待することができない、ということを申し上げました。補足になりますが、私の経験を少し紹介しますと、先ほど田中先生がおっしゃった、authenticityやmeaningfulnessを考えたときに、週1回の授業で実現するのはとても難しい。けれども、私が見学した授業ですが、“What time is it?”というフレーズを提示するのに『シンデレラ』を使うと、シンデレラはお城に12時までしかいられないというのは子どもたちにはわかっていますから、非常に導入しやすい。あるいは、『ゴルディロックスと3匹のくま』というお話では、ゴルディロックスが椅子を壊してしまったときの言葉として“Oh, no, I don't believe this!”というのを入れたところ、給食のカレーライスがお代わりできないときにそのフレーズを使っていました。つまり、物語の中にはこんなに豊かな文脈があるということをぜひ知っておいていただきたいと思います。

先生自身がコメントする力をつける

根岸 吉田先生の言われたcommentingはとても興味深いと思いました。『ハーバード白熱教室』でもサンデル教授は学生の意見に対して上手にコメントしていて感心します。それとは対照的にある中学校の授業で、be動詞の過去形を取り上げ、“I was born ….”というのを1人ずつ言わせていました。公立中学ですから出てくるのは近隣の地名が多いのですが、その中で1人が九州かどこかの地名を言いました。このときに周りの生徒は「えっ、九州なの?」などとつぶやいていたんです。ところが、先生が何とコメントするかと思ったら“Next.”でした。このような生徒のつぶやきは先生にはないのかなと、ちょっと残念でした。

例えば、こういうときに“Oh, really?” “When did you come to Tokyo?”でも何でもいいのですが、このようなコメント力、発問力のようなものをどうやって身につけるのかは自分でも悩みます。結局は英語教育だけが担う問題ではなくて、教科をまたいでやっていくべきことであると思います。せっかく発言したのに先生が何も拾ってくれないとなると、「ちょっと頑張って発言してみよう」、という意欲は育たないと思います。

吉田 今の中学校の例というのはとてもよくわかります。流暢な英語で授業をする先生でも、コメントというのは難しい。“Good.”ぐらいは言えるけれど、プラスアルファで、さらにコメントするというのはなかなか難しいことです。根岸先生がおっしゃるとおり、英語だけではなく、他教科の授業の中でも育てていかなければならないスキルだと思います。

responding strategyを育てる

金森 田中先生がresponding strategyの例で挙げられた、いろいろなフレーズをテキストの中で生み出すというのは、非常に難しいと思うのですが。フレーズだけ取り出して「覚えなさい」というのもどうかと思いますし。そのあたり、田中先生から少しヒントをいただけないでしょうか。

田中 responseの選択肢といっても考え方次第であって、わかりやすい例で言いますと、未来形というのがあります。普通、willとbe going toですね。ところが、それだけじゃなくて、want toやbe planning to、be schedule to、これらも全部、未来表現なんですね。どうしてもwillとbe going toだけが特化されてしまう。そうすると、生徒のレパートリーの中に願望を述べるのか、計画を述べるのか、スケジュールを述べるのか、意志を述べるのか、もうすでに予定されたことを述べるのか、様々な状況があるはずなのに、そこから選択して言うことができない。

この選択肢も例えば20も30もやっても、ほとんど意味はないでしょう。そうではなくて、少なくとも選択できるミニマムセットとして、3〜4つは提示すべきだと思っています。YesかNo以外にも、3〜4つあれば、状況に応じたふさわしいやりとり、インタラクションの場面をつくり出すことはそんなに難しいことではないでしょう。そのいくつかの選択肢を使いながら、言葉は、自分の思いを伝えるツールなんだということを少しでも実感できるようにしていくことが必要ではないかと思います。

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フロアとのディスカッション

生徒の言語材料不足にどう対処するか

Q 大学の教員です。発問というのはいわゆる閉じられたものではなく、open endedなものでなければならない。そうしてなるべく思考を促し、生徒の言語力を引き出していくことだと思うのですが、現実問題として生徒の言語材料が不足していることもあり、なかなか思ったような答えが出てきません。どうすれば生徒のよりよいコメントや意見を引き出していけるのか、発問のストラテジーや方法、具体的なやり方を教えていただければと思います。

田中 1つには「言語に依存しない」というやり方があると思います。以前、実際に学生にやらせたことですが、パントマイムでも歌でも踊りでも何でもいい。最初は「英語ができないのにどうやってやるんだ」と言っていましたが、実際に出てきたものを見たとき、「ここまでできるのか」と驚きました。中学生で同じことができるかというとまた別問題かもしれませんが、場を提供し、とにかく知っている英語で、できるところまでやらせてみることが大事ではないでしょうか。自分たちだけでそういう場を作れた、という体験ができれば、次はもっとかっこよくやりたいとか、「先生、これ、どういうふうに表現するの?」など、初めて聞いてきて、そうやって覚えたことは忘れないものです。

根岸 言語の生成と発話内容との関係について、多くの生徒の場合、英語でどう言うかに脳の処理がとられてしまい、何を言うかを考える余裕のない状況だと思います。あらかじめ話す内容を考えて、どう言うかを決めてからでないと話せない。考えながら話すという練習は英語でもやらないし、日本語でも実はあまりやられていないのではないかと思います。ですから、方法論を言う前に、まずやってみるほうがいいのではないでしょうか。その結果、失敗するかもしれませんが、むしろその失敗の量が圧倒的に足りていないのかなと思います。

金森 まずはレセプティブレベルで情報を持っていなければ、発信はできません。ですからレセプティブレベルで情報を取りつつ、その中で使うことになるであろう言語材料が入っていたら、発信の際に使えるかもしれない。そこをどれぐらい学習者に意識させながら受け取らせるか。その後にreactが出てくるのだと思いますが、その前の部分がたぶん今の日本の英語教育では足りないのだろうと思います。

吉田 今のお話に少し加えると、単なる情報として知っているだけでは不十分で、自分の意見として、何らかの考えを持っていることが大事ではないでしょうか。事実を知っているだけでは発信にはつながらないでしょうね。

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シンポジウムを振り返って―吉田研作先生よりコメント―

今回のシンポジウムは、これから施行される新学習指導要領の根底にある言語力、つまり、言葉を使って自分の考えを人に伝え、互いに理解しあうことの重要性を、英語という教科でどのように実現していくかを考えるよい機会となった。小学校での外国語活動、中学・高校でどのような課題があり、それをどのように解決していけばよいか、そして、理論的な観点から、発問をきっかけにコミュニケーションを行うことがどのような意味を持つかについて、様々な角度から議論できた非常に有益な会になった。

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