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第3部 シンポジウム
「2012年度からの中学校英語を考える‐小中高をつなげる視点から‐」

コーディネーター 吉田 研作(上智大学)
パネリスト・課題提起 田中 茂範(慶應義塾大学)
アレン玉井 光江(青山学院大学)
長沼 君主(東京外国語大学)
金森 強(松山大学)

発表の概要

*課題提議

(1)

文法は英語教育の要(慶應義塾大学 田中茂範)
生徒が文法を自分に引き寄せて、「わかる」「使える」文法の本質を考える。

(2)

音と文字のつながり(青山学院大学 アレン玉井光江)
中学導入期の音から文字へのスムーズな学習の移行を促す指導を考える。

(3)

小中教員対象「小中連携教員意識調査」から見えるもの〜中学校教員ができること(東京外国語大学 長沼君主)
小学校での結果を踏まえた上で、中学校の指導が果たす役割を考える。

(4)

小学校と高等学校に話題を取られた中学校の先生に捧げるバラード(松山大学 金森強)
中学校の先生との関わりでどのような「学びへの動機づけ」ができるか考える。

*ディスカッション

(1)

中学校までに音のかたまりで身に付けた発音を持続させるには?

(2)

小学校段階での差が中高と進むにつれてもっと開くのではと懸念されるが?

(3)

ALTへのアンケートで聞きたいことは?

(4)

小中高を通して指導方法の一貫性、継続性をどう考えるか?

(5)

これからの英語教員に求められる資質とは?

(6)

グローバル化する世界で生きる地球市民を育てるために必要な教科書コンテンツとは?


課題提起

(1)文法は英語教育の要

(慶應義塾大学 田中茂範)

生徒が文法を自分に引き寄せて、「わかる」「使える」文法の本質を考える。

いい文法とは何か――「わかる」こと、「使える」こと

2009年にベネッセが全国の中学2年生を対象に行った「第1回中学校英語に関する基本調査」の結果があります。有効回答数はおよそ3,000名です。その結果、中学2年生の2学期で英語が苦手と答えた生徒が6割いました。その理由としては、「文法が難しい」が突出しています。
文法というのは、僕は言語の要だと思います。中学・高校の学習指導要領でも、文法はコミュニケーションを支えるものだという立場を明確にしています。文法かコミュニケーションかという対立軸ではない。ただ、文法って一体何なのか、その定本がないんですね。従来の我々が何となく理解している文法――関係詞とか分詞構文とか不定詞――を生徒は難しいと感じているわけです。そうすると、やはり「いい文法」を作っていかなければならないのではないか。いい文法というのは何か、これは生徒からみれば「わかる」、それから「使える」文法です。

文法の本質を理解することとは――「現在完了形」で考えてみる

具体的な事例として1つあげたいのは現在完了形です。現在完了形を、僕らはこれまでずっと「have+過去分詞」で、haveは助動詞、用法としては完了、経験、継続の3つであると理解してきています。それでは現在完了形というときの完了と、用法としての完了というのは同じなのか。大学生に「完了用法って何?」と聞いてみると、ほとんどの学生が「今ここで終了したものが現在完了だ」と答える。ところがjust nowという副詞がつくと過去形になるんですね。また、「経験」というのは、過去に経験したことであれば過去形だろうが現在完了形だろうが変わりません。「継続」は、これまでずっとなされてきたし、現在完了進行形になるとこれからもなされるだろうと理解するわけです。ところが外を見ると雪が降っていて積もっている、“ああ一晩中降っていたんだ”というとき、どう表現するか。これは現在完了進行形になるんですね。

助動詞というものも曲者で、doとか doesも助動詞ですし、 can、 will、 mustなど人称によって形が変わらないのも助動詞ですね。have+過去分詞、be+過去分詞におけるhaveやbeも助動詞です。そうすると、助動詞という言葉によって、我々は3つのことを表しているわけです。

現在完了形の本質――1つは「現在との関連性」

今日の提案は、「現在完了形はhaveに注目する」という教え方ができるのではないかということです。「何かがなされた状態をhaveしている」というのが、現在完了形のhaveに注目した読み方です。haveしているとはどういうことかというと、ご存じのようにWe have apples. He has a big nose.のように所有している「所有空間」としての問題――僕はこれを「have空間」と呼んでいます――と、I have a good time.のように経験、すなわち「経験空間」の2つがあります。これを押さえると、have +過去分詞というのは、「何かがすでになされた状態を現在のhave空間の中に有している」といえます。そうすると、現在完了形の本質は2つあって、1つは「現在との関連性」、もう1つは「状態の強調」であるといえます。これを教えなければ現在完了形を教えたことにならないと思います。

わかりやすい例をあげると、以前のタバコのパッケージには、The Surgeon General has determined that cigarette smoking is dangerous to your health. という文句が印刷されていた。これは「衛生局長官が喫煙は有害ですよ、という結論に達している」ということなのですが、結論に達したのは20年前かもしれない。その状態を現在まで持ち続けているということです。これを過去形にしてしまったら、その主張が現在まで継続しているかどうかは保証されません。つまり現在との関連性というのは、has determined のhasがあるかどうかでぜんぜん違うわけです。

現在完了形の本質――2つ目は「状態の強調」

現在完了形は「状態である」、とはどういうことかというと、たとえばヒゲを剃っていて、“あ、切っちゃった”というときはI cut myself shaving.ですし、ボクシングなどで挑戦者が強いチャンピオンを倒したときに叫ぶのはI did it! ですね。すべて過去形です。現在完了形は使わない。使うとすれば、たとえば挑戦者が控室に戻って、俺は本当にやったんだ、と噛みしめるように言うときのI have done it.となります。中学校でよく出てくる例文であるI’ve just finished reading the book.というのは、日本語では「その本をちょうど読み終えた」ではなく、「読み終えたところです」であり、これがhaveに対応するわけです。単に読み終えた、なら過去形でいいわけです。これを生徒に伝えられるかどうかが重要です。

Grammar in text――本文の中で文法を読み取る

僕は最近、Grammar in textということを盛んに言っていますが、これは本文(テキスト)のなかに文法性を読み取るということです。文法がわかることによって本来的な意味で英文を読むことができる。読解と文法は別々のものではないのです。たとえば、オバマ大統領の就任演説で、こういうくだりがありました。I stand here today humbled by the task before us, grateful for the trust you have bestowed, mindful of the sacrifices borne by our ancestors. そして、I thank President Bush for his service to our nation, as well as the generosity and cooperation he has shown throughout this tradition.ブッシュ前大統領は目の前にいるので、ここを過去形で言ったら、もう過去の人になってしまって失礼ですね。つまりこの移行期にあなたがまさにhas shown 、見せてくれているという意味。また、その前のyou have bestowed というのは、bestowedと過去形でいくのではなく、「いま私に与えてくれた信任」という意味になり、大切なところです。

英文法というのは、teachableだけではなくてlearnableでありusableでなければならない。つまり、おもしろさですね。わかれば楽しいし、それが持続的な動機づけにもつながる。authenticでmeaningfulでpersonalな教材を使い、活動の中で文法の働きを学ぶということが大事なのだろうと思います。普通の中学生がハンドリングできる英文のなかに、現在完了形を知ることによって、初めて「あ、そうか」と思えるような指導、テキストを自分のほうに引き寄せたり場面が非常にうまくリアルに浮かび上がってくるような、そういう指導が理想だと思います。

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(2)音と文字のつながり

(青山学院大学 アレン玉井光江)

中学導入期の音から文字へのスムーズな学習の移行を促す指導を考える。

英語は音と文字が対応していない最たる言語

毎週小学校に教えに行っている経験を通して、子どもたちが中学校へ上がったときにどこでつまずくのかを考えてみると、「音と文字のつながり」が大きいのではないかと感じます。今日はその点に絞ってお話しします。

「発音と綴りとを関連づけて指導すること」、これは、小学校において外国語活動が必修化されたことを踏まえて、今回の中学校の学習指導要領改訂に新たに示されたものです。「小学校における外国語活動で音声を中心に慣れ親しみ、それを受けて中学校では文字を通した学習が始まることから、音声と文字の関係に触れた学習をすることが適切である」と書かれています。つまりはフォニックスということですね。

世界のいろいろな言語を、音と文字との関係でみてみます。文字と音が1対1で対応している言語をShallow LanguageあるいはTransparent Languageといいます。ギリシャ語、ドイツ語、ハングル文字、そして日本語の平仮名、カタカナがそうですね。それに対して、単純に対応していない言語をDeep LanguageあるいはOpaque Languageと呼び、英語はその最たるものです。日本語も漢字はこれであり、日本語というのは音と文字から考えると、2つの違う体系を持った言語であるといわれています。

英語の、なかでも母音の発音をみてみますと、たとえばcat、call、car、cake、careという言葉はどれもaで表わされる母音を含んでいますが、音と文字との関連性は51%しかないといわれています。しかし、たとえば、at、ad、ed、ex…などのライム(脚韻)になると77%に上がるといわれています。これについては後ほど申し上げます。

 

アルファベットを教えながら音素認識能力を高める試み

ではどうすればいいのか。英語を第一言語、つまり母語にするアメリカの子どもたちを対象にして国家レベルで行われた研究から導き出されたことは、英語の初期リテラシーを身につけるために絶対必要な条件が、「アルファベットをよく知っている」ことと「音素認識能力」なのだそうです。

音素というのは音のもっとも小さい単位です。日本語を例にとれば、「カ」というのは1音節1モーラ(拍)です。でも「切手」になると2音節3モーラになります。こんなことを小学生に教えるのは大変難しいですから、私はこの2つを一緒にした活動を小学校で展開しています。つまり、アルファベットを教えながら音素認識能力を高めようとするものです。そのために特別なアルファベットチャートを作りました。それぞれ文字に色がついていますが、その意味を考えてみてください。

アルファベットチャート

ポイントは「アルファベットを教えながら音素感覚も育てる」ということですが、それは、声を出していただくとわかりやすいと思います。赤は何が共通点でしょうか。すべて[i:]という音で終わります。青は、最初の音が[e]ですね。緑は最後に[u:]という音が入っています。黒は、最後が[ei]ですね。eiは日本語のモーラではeとiと2つの音の二重母音ですが、英語では1音素となります。黄色は最後に[ai] ですね。このようにアルファベットの音は音素で構成されていることがわかります。
では、[ei] [i:] [e] [ai]それぞれにジェスチャーをつけます。皆さん一緒にやってみてください(ジェスチャーを使ってアルファベットを読む)。

これを毎回の授業で繰り返しやります。そして、ある日「じゃあ今日は[i:]を取ってやってみよう」と母音を取って言ってみます。たとえばpであれば、“What’s the name of this letter?” “ P(ピー)”。“the sound?”と聞くと、[i:] という音は取ってしまうわけですから “p(プ)、p(プ)”となります。このようにすると、先ほど言いましたライムを使うことでも定着させていくことができます。例を出しますと、<c/at m/at h/at r/at><b/oat c/oat g/oat><p/en t/en y/en d/en> <d/ay M/ay p/ay tr/ay>というように。ライムは77%にわたる単語にあるというお話をしましたが、このように音素やライムなどから英語のアルファベットや単語の基本的な音の構造に対する意識を高めることができます。私は小学校でこういう活動をやっていますが、中学校の導入期にもこのような活動をすることで、音と綴りの関係への認識を深め、音から文字への学習の移行をスムーズに行うことができると考えられています。

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(3)小中教員対象「小中連携教員意識調査」から見えるもの〜中学校教員ができること

(東京外国語大学 長沼君主)

小学校での結果を踏まえた上で、中学校の指導が果たす役割を考える。

小学校で教えたいこと、教えてきてほしいこと

小学校で外国語活動が必修化される前の調査になりますが、科研(*2)で行った小中教員に対する調査の結果から、教員の意識がどうなっているかをご紹介していきたいと思います。まず、小学校の先生には「小学校で教えたいこと」、中学校の先生には「小学校で教えてきてほしいこと」を聞きました。すると、小学校のトップ3は歌、ゲーム、会話です。中学校をみてみると、会話、アルファベットの発音、アルファベットの識別という結果になりました。その次に教室英語が続いています。

小学校教員に「したい」ことと、「すべき」ことを聞きますと、「したい」ほうはやはりゲーム、会話、歌の3つで、「すべき」のほうもあまり違いはありません。会話、ゲーム、歌と順番が多少違うくらいで、やはり中学校の先生が教えてきてほしいことにあげたアルファベットについては低いです。そこには小中教員の期待のずれがあるように思います。

小中教員、生徒ともに文字指導自体へのニーズは高い

文字指導自体のニーズを聞いてみました。すると小中教員とも「アルファベットを読めるようにする」が一番高くなっていますが、中学校教員のほうがより高いのがわかります。また、その次に高いのは、小学校では「簡単な単語を読めるようにする」ですが、中学校ではそれよりも「文字と音の関連について、ルールに気付かせる」および「ローマ字との違いを教える」のほうが高くなっています。

では中学校の生徒はどう思っているか。午前中に報告があった最新のARCLEの調査を使って、中学校に入ってから役立ったと思う活動を、成績を上位、中上位、中位、中下位・下位の4つの層に分けてみてみました。すると、「アルファベットの読み書き」が全般に高くなっています。次に高い「簡単な会話」では、上位と下位との差が大きいのですが、「アルファベットの読み書き」はどの層でもほとんど変わらないのとは対照的です。

中学校の教員は「ゼロから教えたい」?

さらに小中教員へ、お互いへの期待や意識をたずねています。注目すべきは中学校の先生では「すでに学んでいる分、新鮮味がなく、関心や意欲が低下する」、「すでに学習差が生じ、授業がしにくくなる」という懸念が高いのですが、小学校ではそれが低いこと。その逆に小学校では「関心・意欲が高まり中学校での授業がしやすくなる」という項目が高くなっています。ここから読み取れることは、中学校の先生にしてみれば、フレッシュな状態で英語が初めての生徒を教えるという、今までのワクワク感や楽しみが減ってしまうのでは、という懸念があることが考えられます。しかし、見方を変えれば、新しい教え方を工夫することによってこれまで以上にいろいろなことができ、さらに楽しい授業ができるかもしれないということも考えられると思います。先生がワクワク感を持って授業できないと、それはたぶん生徒に伝わってしまいますので。

小学校での結果をふまえ、新たにもう一度動機づけするのが中学校の役目

まとめとして次の2点がいえるかと思います。まず小学校英語活動での文字指導について。文字の指導についての小中教員の意識差があり、中学校教員から小学校での文字指導への期待は高い。また生徒調査でも学んでおきたかったことで上位に入っています。ただし、文字指導に時間を割くことで失われることもあるので、小学校に期待をかけるだけでなく、中学校での受け入れ段階で文字嫌いにさせない工夫も必要になってくると思われます。

2点目として、小学校英語活動に期待する効果についてですが、中学校教員の意識の中には、中学校に入ってゼロベースから教えればいい、という意識も存在しています。それは非常にもったいないことです。情意的なフォローも含めて能力差があってもそれをプラスに変えていくような指導の工夫が必要になってくるでしょう。小学校の先生は英語教育のプロではないので、そこは中学校の先生が英語への動機づけというものをもう一度新たにする、という意識も必要ではと思います。そうでないと、中学校後半の難しいところが乗りこえられなくなってしまうのではと思っています。

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(4)小学校と高等学校に話題を取られた中学校の先生に捧げるバラード

(松山大学 金森強)

中学校の先生との関わりでどのような「学びへの動機づけ」ができるか考える。

学びの「動機づけ」と「関わる力」が英語力を支える

英語力を支えるものとは何か、と考えると、それは「学びへの動機づけ」と「関わる力」だといえます。

英語力を支える「学びへの動機づけ」と「関わる力」

この図のように、英語の力というのは、そのスキルや知識、経験を上の三角のコップの中に溜めていって、ある日一番上までくるとこぼれ出すわけです。でもそこまで来ない限りはこぼれ出ないので、なかなか自分の力がついていることがわからない。いくら頑張ってものびないというスランプ状態になります。そこで諦めてしまう人が多い。私は学生には、諦めるな、今スランプに入ったということは、コップの広がっているところまで溜まってきている証拠なのだから、といいます。この働きかけは勉強を続けさせるために必要です。大切なのは横で支えるモチベーションですね。英語をしっかりとマスターしたい、学びたいという動機づけがなければいけません。また、人と関わるとか、コミュニケーションを取りたい、人間関係を作っていきたいという姿勢を持つことです。リーディングにしても書き手の伝えたいことを読み取ろうという気持ちが大切です。三角形のコップを支える両サイドがなかったらコップは倒れてしまいます。

私は小学校の週1回の外国語活動で、そんなにたくさんのことは期待できないと思っています。小学校でできるのはこの動機づけの部分と関わる力、これにちょっとだけ音声を聞いてそのままかたまりで理解する力、あるいは音声として受容できる語彙が増えるぐらいかなと。この後は中学校、高校でどんどん学習してもらわなければいけないんだろうと思います。ですから、中学生、高校生と小学生が学ぶべきことは違って当然です。

「書きたい」という気持ちがあってこそ文字を覚える

ある調査では、今日の午前中に発表されたデータより、中1段階で英語嫌いが多いという結果も出ています。そこで、中学校の先生方へのメッセージです。何よりもまず「もう一度英語を学びたくなる、外国語を学ぶって楽しいと思える」ような授業をしてください。

そして、文字言語としての英語を学ぶことへの誘い。小学校のときに勉強したかったのにできなかった。あれだけ音声だけで我慢したんです、やっと文字に触れることができるわけです。どのように文字を読んだり書いたりする楽しさを与えることができるのか、が重要です。1文字1文字、これがt、これがk、これがsですよとペンマンシップで書かせていくのが楽しいですか。うちの娘が初めて文字を書こうとしたとき、それは何だったかというと、サンタさんへの手紙を書きたいということでした。相手がいて初めて文字を使って伝えたい、という気持ちが起こるんですね。自分の伝えたい気持ちがあって、心が動いて、内容を伝えるために文字が必要になる。そのために文字を覚えるんです。中学校の先生方、ぜひその工夫をしてみてください。フォニックスは中学校3年間を通して、終わった時点で音声と文字の関係がある程度理解できた、ということでもいいんです。そのためにまとめて3年生ぐらいでフォニックスのルールを与えるのはいいですが、最初からルールだけ与えてこれを覚えなさいというのは、子どもによっては難しい場合もあるのかもしれません。

英語と日本語の構造的な違いのおもしろさに気付かせる

もう1つ中学校の先生にやっていただきたいこと、それは日本語と英語との構造的な違いに気付く喜びを与えてほしいということです。「うなぎ文」というのがありますね。「僕はうなぎだ」とか「僕は大根」というのがそうです。外国人からすれば、あなたイコール大根?となるわけですね。そういうところに気付かせてほしい。私は九州出身なんですが、中学校のときの英語の先生がこんなことを教えてくれました。九州では「おいの来っけん」というと「私が行きますから」の意味なんですが、英語だと”I’m coming.”ですね。標準語で「行く」が九州では「来る」になる。九州の言葉は英語と同じなんだ、となんか誇らしい気持ちになりました。中学校ではぜひそういう言語の構造や日本語との違いに気付くことの楽しさを生徒に伝えて、中学校の学びは違うぞ、言葉っておもしろいだろう?という体験をさせる授業をやっていただきたいと思います。

最後ですが、中学校に入ると学習ストラテジーが変わります。家庭での学習も必要になります。生徒自身が自分で学んでいけるような、自律的な学習者になれるような手立てを教師はしなければいけないわけです。そのためには、ポートフォリオを利用するのが一番いいだろうと私は思っています。そうすることで、生徒は自分の学びをコントロールしながら、自律的に学んでいけるような学習者になっていくのではないかと思います。それが高校に渡すための1つの手立てだろうと思います。ぜひその工夫をなさってみてください。

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ディスカッション

吉田  ここからはフロアの皆さんからの質問を受けながら進めます。質問をお受けする前に、今日お集まりの皆さんがどういう方々なのかを確認させてください。小学校の先生、中学校の先生、高校の先生、大学の先生、学生さん、だいたい均等に分かれているようですね。

(1)中学校までに音のかたまりで身に付けた発音を持続させるには?

音のかたまりで触れる⇒文字で単語に分解されたものを認識⇒音に出して使うこと(練習)で自然に戻る。

質問 九州で中高一貫校の教師をしています。今年度は中学1年生も担当していて、生徒たちは内部進学で小学校のときにすでに週2時間の英語を学習してきています。私はかなり音にこだわった授業をしているつもりで、たとえば教科書にI have a few books.という文があったら、have aは必ず「ハブアと言うな、ハバ」と、またDid you like it?なら「ディッジュ、ディジュライキッ」と言うように指導しています。ですが、気を抜くとすぐに「ハブア」とか「ディドゥユーライクイット?」に戻ってしまうんです。子どもたちは小学校で音のかたまりとしてある程度の表現を耳から覚えてきているのですが、それを文字に認識させ直したときに、音のかたまりが分解されてしまう。それは仕方がないことなのか、それとも音がしっかりかたまりのまま生き続けていくような指導方法がないものか、ずっと悩んでいるのですが、何かヒントをいただけないでしょうか。

根岸 簡単な答えはないと思うんですが、やはりかたまりの状態から分解して、そしてまた自然な音声に戻っていくというプロセスは必ず通るものなのかなと思います。ずっと「ハバ」ですと、I have a brothers.のような言い方をしてしまうかもしれません。やはりhave とaで一応単語が切れているという認識も発達上は必要だと思います。それが切れたまま固まってしまうというのは、たぶん音声的なトレーニングが足りないのだろうと思います。自然なリズムや音のリンキングは追求していったほうがいいと思いますね。

田中 ポイントは3つあって、1つはグローバルスタンダードということです。グローバルランゲージとしての英語を考えたときに、どういった音声を指導をするのかという先生の見識の問題ですね。英語話者が15億人いるうち、母語話者は4億人しかいません。2つ目としては、やはり通じるかどうか。3つ目としては、チャンク化してしまうと、そこから自由な表現というのは出てこなくなるということ。ある程度のものはチャンクでできても、そこから自由な表現に行くには、どこかでモニタリングをきかせていくことも必要。そこがたぶんポイントかなと思います。

長沼 今、科研で教師が英語を使うときにどういう英語を使うべきかというCan-doリストのようなものを開発しています。そこで大事になってくるのは、語彙にしても音声にしても、あるいはパラフレーズするにしても、どういうふうに自分の英語を調整するかという能力なんですね。たとえば、文法説明をするのにどのくらい難しい語彙を使うのか、音声的にスローダウンするとか、パラフレーズの仕方とか、いろいろな調整の方法があると思います。そのときに、音って難しいなと思ったんです。CDの音源は1つしかないことが多いですが、今聞いているのが唯一の音ではないんだということ、できれば複数の音源を聞かせてあげる、いろいろな英語をインプットしてあげる、先生の発音もコントロールすることが必要なのかなと思いました。

金森 インドの人口が急増していて、あと2年で中国をこえるともいわれています。経済も発展していますから、やがて私たちはインド英語と付き合わなければならない日がくると思います。いろいろな英語、いろいろな音があっていいんだよ、ということを教えないといけない。そのときに、自分は英語教師として何を一番大切に指導するかということなんです。高校までのモデルとして聞かせるものは、アメリカ英語でもイギリス英語でも他の国の英語でもかまわない。自分が発音するときに相手に通じる発音であればいいのであって、さらにスピードを上げたナチュラルスピードでしか起こらないようなリンキングを無理して教える必要はないと思います。

吉田 チャンク的なものをやるときに、それは文字を見ていない段階でやっているのか、文字を見ながら無理やりやらせようとしているのかでぜんぜん違う気がします。逆にいえば、最初に音声だけでどんどんコミュニケーションをやっているときに、そういうリンキングしたような発音をしている子がいるとしたら、文字を見たときにそれが1語ずつ分かれるというのはわかりますが、ずっと学習を続けていけばまた自然に元に戻ります。ぜんぜん心配することはないんじゃないでしょうか。文字を見た上でまた次に音でのコミュニケーションに戻ればよいのです。

(2)小学校段階での差が中高と進むにつれてもっと開くのではと懸念されるが?

小学校の先生が役割を明確に認識し、行政や学校は小学校の先生への研修を充実させる。

質問 東京の大学2年生です。今、小中の英語教育の関連性について調べています。私の地元では小学校にALTが入っているのですが、担任の先生が英語ができないことが多く、ALTとのコミュニケーションがなかなか取れずに授業を組み立てるのが大変ということが起こっています。つまり、英語活動といっても小学校によってかなり差があって、それが中学校に行っても差が生じた場合、さらに高校でもっと差が開いてしまうのではと思うのですが、その点についてどうでしょうか。

長沼 ALTと日本人教師がコミュニケーションをうまく取れるかどうかという問題は、今、教員研修の現状が必ずしも十分ではないので、当たり前の状況だと受け止めるしかないのではと思います。日本人の先生にどういう役割を期待するかということですが、子どもを一番知っているのはやはり担任の先生ですし、全人的な関わりができるというのは、小学校の先生の強みだと思います。ですから、小学校の段階で何もかも教えこもうとか、発音も完壁になどと気構える必要はないのではないでしょうか。 中学校、高校でもそれは一緒で、すべてを教えることはできない。週3時間だろうが4時間だろうが少ないことは少ないのであって、そのときに、カギはやはり自律学習ということだろうと思います。この限られた時間のなかで何を学んで、自分はどういう能力を身につけて、今後どういう学習をしていけばいいのか、というビジョンや方法を知り、そういう態度を持てるようになることが重要です。

金森 すごく大きな問題を提示してくださったと思います。もし日本全国で本当に小学校から中学校に、中学校から高校に上がって地区によって英語力がそんなに違う結果になってしまったとしたら、これは大問題です。たぶん、今日ここにいらしている中学校の先生方は、小学校で何をやってこようが、中学校でちゃんと鍛えてあげますよ、と思ってくださっただろうと願っています。
ポイントは2つあって、1つは小中連携をやるべきだろうということ。中学校の先生が小学校に行って、ALTとのコミュニケーションの取り方、どういう指導をするのかをお手伝いしてくださることが必要になるでしょう。どういう小中連携を進めるのがいいか、各地域で研究していってくださればと思います。
もう1つは研修をしっかりやるということ。これは管理職の意識の問題も大きいと思います。どの先生も5、6年生を受け持つ可能性はあるわけですから、一斉に研修を受けることが必要です。残念ながら国にはもうそのお金がありませんから、各行政、各学校単位で、よりよい教育実践のためにしっかり予算をとって紙やデジタルのいろいろな教材を利用して指導ができるように研修をやっていたただければと思います。

(3)ALTへのアンケートで聞きたいことは?

ALTのバックグラウンド(外国語習得体験、教育や英語指導の知識・経験)や建設的な要望を聞きたい。

質問 福島の大学教員(ネイティブスピーカー)です。科研のプロジェクトで小学校、中学校の教師やALTにアンケート調査をすることになっています。これまでALTに聞いていないこと、聞くべきことなどありましたら教えてください。

金森 ALTの人たちがどういうバックグラウンドを持っているのか、今まで外国語として英語を指導したことがあるのか、外国語教育に関する専門的な知識を持っているのか、それからいろいろな派遣業者もあるようなので、どういう雇用の条件や契約なのかがわかるといいと思います。そういうデータをとるのは、たぶん無理だろうとは思いますが。

長沼 これまでの調査で教師や生徒、児童にはいろいろアンケートを取っていますが、聞けていないのがALTなんですね。ALTが何を不満に思っているかというのは知っておきたいですが、それだけではなくて建設的に、どういう形で貢献できるのか、ALTはこういう環境で働いているとハッピーなんだというケースが拾い出せるといいなと、と個人的には思います。いろいろな形態でうまくいっているケースもあると思いますので。

吉田 ALT自身が外国語を学んだ経験があるのかどうか、学んで成功した経験があるか、が重要だと思います。帰国子女のような形で自然に学んだのではなく、外国語として一生懸命意識的に学んだ経験があるかどうか、というのはぜひ聞いていただきたい。つまり、そういうものがないと生徒の問題がわからない、というのはあると思います。これはALTに限らず、日本人の教師、小学校の先生たちも、英語を嫌いだったとしたらどこが嫌いだったのか、何が問題だったのか。そういうものの拾い出しも参考になると思います。

(4)小中高を通して指導方法の一貫性、継続性をどう考えるか?

言語材料やタスクの見える化、指導者がすべてのレベルで「練習=使えるようになる」ことだと共通認識を持つ。

質問 東北の高等専門学校の教師です。小中高と英語の授業を見せていただく機会があって私が一番気になっているのは、指導方法の一貫性、継続性を私たちはもう少し考えなければならないのでは、ということです。どんな配慮をしていけばいいのか、どんな指導をしていったらいいのか、アドバイスをお願いします。

田中 ものすごく重要なポイントだと思います。一言でいえば説明責任ということでしょう。僕はデータベースを利用するのがいいと思います。英語力って何なのか、と考えたとき、1つにはLanguage Resourcesというのがあります。これは単語とか慣用表現、文法力ですね。これを使っていろいろなタスクをハンドリングできる。どういうタスクをどれだけ効果的にどういったLanguage Resourcesを使ってハンドリングできるかがコミュニケーション能力になるので、それがわかれば、たとえば小学校では何をどこまで教えればいいのか、ということを可視化できると思うのです。現状だと、教科書にあることをやったことによって何が身に付くのか、説明するのは非常に難しいですね。
もう1つは、どのように教えるか。発達段階やタスクの種類によって違うけれども、少なくともいろいろなテクニックやメソッド、アプローチを共有できるようなデータベースやアーカイブが必要ですね。そういったものがDVDとかCD-ROMなどのメディアで蓄積されていく。これは市町村単位でもいいし、都道府県単位でもいいし、全国的でもいい。先生たちが共有できることが不可欠だと思います。

根岸 全体として学習者がどういうふうに発達していくのか、というところを小中高、大学、社会人まで含めて共有したほうがいいと思うんです。完全に合意できるかどうかはわかりませんが、育っていくステージと、その中で自分はどのあたりを担当しているのか、というのをイメージできたほうがいいのかなと思います。もう1つは、「練習が大切」ということはどの先生も思ってらっしゃるのですが、「練習」というイメージ1つとってもなかなか共有されていないので、全体的な共有が必要だと思いますね。たとえば高校だと実技練習というよりは練習問題をたくさん解くということ、中学校の先生は実際に口にしてコミュニケーションしてみることだと思っている。「練習」とは「本当にそれが使える」というステージにつながるものだと思います。

田中 New Crownに練習形がたくさん入ったことはとてもいいと思いました。その際に大事なことは、練習の目的が何かということ。つまり何かをするときに先生は何のためにそれをやらせているのか、ということ。野球なら素振りをしますが、それは何のために役立つのか、という理論と実践がありますよね。ところが、英語教育について不思議なのは、この活動は何のために役に立つのかということが明確になってない。 僕は練習の目的は5つあると思っています。1つは気付き、「アウェアネス・レイジング」です。いろいろなレベルの気付きがあります。言語の違い、文法のポイント、音など。2つ目は「ネットワーキング」、関連化です。学習というのは時間軸上でいろいろ断片化された情報を提示していくしかない。3つ目が「コンプリヘンション」、理解。日本語として理解すれば理解したことになるのか、というと、やっぱりそうじゃない。4つ目は「プロダクション」です。最後に自動化、「オートマタイゼーション」があります。この5つをどう配合しながら小学生にどういう気付きを与えるのか。エクササイズをさせるときには練習目的を明確化して、先生が自覚を持つということが大事です。

(5)これからの英語教員に求められる資質とは?

「ことば」として英語を教えようと決心している人、いい教師になろうと自ら決心している人。

質問 東北の大学4年生です。今、世界の教員養成制度について研究しています。僕は学習指導要領とか教科書よりも、それを教える教師の資質がどうなのか、そこが一番大事なのかなと思っています。これからの英語教員の資質について、どういうものが求められていくのか、それをうかがいたいと思います。

金森 一番大切なのは、言葉として英語を教えようと決心しているかどうかだと思います。言葉として教えようと思ったら、自分の言葉も変わってくるし、伝えるための工夫もすると思います。どんなに流暢にしゃべっても相手に伝わらなかったらそれは意味がない。授業も同じです。言葉として英語をとらえて、その言葉を指導することで、何か新しい気付きをもたせ、そしてそれが将来その子たちが育って良き市民となるということを信じて指導しようという決心をすることだけだと思います。本当にいい教師は、いい教師になりたいと強く願う人だと思います。

(6)グローバル化する世界で生きる地球市民を育てるために必要な教科書コンテンツとは?

まずは母語でのコミュニケーション能力を育成する。自分⇒まわりの世界、個人間⇒国家間におけるグローバル人材という視点。教科内容などに言葉(英語)を乗せていく。

質問 大学の教員です。先生方が英語の教科書を作成するにあたって、これから世界がグローバル化する中で、子どもたちをどういう地球市民に育てたいとお考えになっているか、どういうコンテンツがいいとお考えになっているか、聞かせてください。

吉田 まず、始まりは身近なところから、自分について言える、自分のまわりについて言える、1対1のコミュニケーションからだと思います。そこからリーディングなどを通して外の世界を少しずつ知っていく。そのインプットがあった上で自分の意見が言え、他者とディスカッションができるようになる。 もう1つは、これは日本政府が出しているグローバル人材育成についての文書の中にあるんですが、個人と個人の対話から国と国の対話へ、ということがある。今日本が非常に困っているのは、政治的レベルで国と国の間の対話ができないということ。つまり、1対1で個人同士は対話できるかもしれないけど、グローバル経済の時代にあって、国と国の間の交渉の代表にならなければいけない。そこまでの交渉力とかコミュニケーション力というものは果たしてつくのか。そこまでもっていければ、日本国内においてもグローバル人材が育成されるのかもしれませんね。

金森 コミュニケーションを考えるときには、母語である日本語も含めて考える必要があると思いますが、何となく英語の先生というのは英語の世界だけのことを考えてしまうのが残念な気がします。たとえばアイコンタクトをとるとか、スマイルというのは、英語の授業に限らないわけです。私が今関わっている小中学校の連携というのは、母語でのコミュニケーション能力の連携についてルーブリックを作って、どんな日本語力を育てるのかを考えています。それに関連させながら外国語活動、英語の時間にはどんな力が必要なのか、ということを考え、他教科で扱っていることを英語の授業のなかのコンテンツにしていく。教科書について私が夢として考えているのは、教科をこえて、たとえば社会でやっている内容、理科でやっている内容を英語の教科書に関連させながら入れるということです。

長沼 今、福岡にある高校と一緒に共同研究をしています。以前はSELHi(*3)でしたが、今はSSH(*4)の指定を受けている高校です。そこで科学英語を教えなければいけないのですが、生物の先生が非常に熱心でイギリスのCLIL(内容言語統合学習)的な教科書を使ってやっています。そうすると、設問の深さや設定がものすごく違う。生徒はある程度生物の知識を持っていて、メカニズムも知っているので、単語を補ってあげると、深い話や深い類推などいろいろな思考が働くようになってくる。つまり、知識のあるところにうまく言語を乗せていく。そうすると単に他教科の内容と連携という以上に、もう少し英語教師の果たす役割がみえてくるのではないかと思います。

吉田 今日のこのシンポジウムの中で皆さんが何か1つでも持って帰れるものがあれば、それだけでもやった甲斐があったと思います。来年4月の中学校の学習指導要領改訂は、小学校で必修化になったことを受けている、これだけはもう変わらない。それを考えた上で、小中連携、そして中学校の英語教育をどう考えていくのかを、今後も皆さんと引き続き一緒に考えていきたいと思います。

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