コーディネーター | : | 吉田 研作 | (上智大学) |
パネリスト | : | アレン 玉井 光江 | (青山学院大学) |
: | 金森 強 | (関東学院大学) | |
: | 田中 茂範 | (慶應義塾大学) | |
: | 長沼 君主 | (東海大学) | |
: | 根岸 雅史 | (東京外国語大学) |
第1部「全国47都道府県の高校入試分析から考えるテストデザインと中学校3年間の指導」と第2部「中学生・高校生の英語学習実態から考える指導と学び−インタビューを手がかりにして」を踏まえて、これからの中高での英語の指導や学びについての提案とフロアの先生方との意見交換を行いました。
発表の概要
|
Action-oriented Approachはヨーロッパの考え方で、ある目的を成し遂げるために言葉を使う、言葉で何かをすることができることで、ディスクリプターとしてcan-doが生まれてきた。このcan-doはどう使うかが大切で、その使い方の1つとしての形成的な評価を生み出すツールとしてcan-doリストを利用するのがよい。そのためには、各学校の実態に合ったリストを作成しなければならない。
can-doのディスクリプターを並べることで、学習の道先案内として、望まれる力をルーブリックの形で見せることができる。学習の軌跡は、学びの達成感と指導者への信頼を生み出す。それこそが形成的な評価であり、学びのオーナーシップを学習者に渡すことができる。そして指導者は何をすべきかが明確になる。
私はラグビーと空手を習ってきたので、指導者の役目はとても大切なことが分かっている。指導者を信じることができれば、学習者は指導者の言う通りに実行する。先生の役目は、can-doを提示して、育てたい能力に合った必要な活動をさせることである。活動を評価するために、スキルに応じた評価方法が必要になる。can-doが明確であれば、自分の指導・授業を振り返る省察も正しくできる。can-doリストを作れば、育てたい生徒像から具体的な能力を考えることができるので、教師の意識も変わる。要はどんな力をつけたいかから考えて、どんな指導をするのか、そしてどう評価するのかを考える。ぜひその流れを作っていただきたい。
<スライド1>
can-doリストが作成されれば、4つのスキルを測る必要が生じ、中間、期末、学年末試験でスピーキング能力を測る必要性が出て来るだろう(スライド1)。CEFRでは、4技能に加えてインタラクションという5つめのスキルがあるので、5項目となる。どうやって測るかは先生方、各学校で考えることになる。大学入試にスピーキングテストが入ってくれば、高校や中学校でどういうスピーキングテストをすればよいのかも見えてくるはず。can-doリストを作ることで、どんな指導が必要なのか、それをどう評価するのかがはっきりと見えてくる。それを共有する教師集団になることが望ましい。そのために教師集団としてcan-doリストを作るのである。今日参加している皆さんは、自校へ戻ってリーダー的な役割を果たしてほしい。
「べき感」「やらされ感」ではない自律的動機づけを高めるためには、学習価値を内在化しなければならない。授業の学習ははじめのうち、生徒は与えられたからやっていることもあるが、価値を実感することで、やるべきだと感じられるようになり、そのうちに課題の重要性を認識して、これは自分にとって重要だと腑に落ちる感覚が出てくる。さらに意識が進むと、自己の価値と融合して、自然と意識せずとも自発的に取り組んでいる感覚になる。こういう形で、外発的動機づけから自律的動機づけへと変遷する。
自律的動機づけは、必ずしも内発的な「楽しい」と思うことばかりではなく、課題の価値の重要性を認識し、この課題は意味があると思えるかが大切である。教室外学習の促進ではなく、教室内学習での能動的学習態度を促進し、いかに学習課題や内容を価値づけるかが重要になる。そういう感覚を促進するクラスになるため、can-doは役に立つ。「何をできるか」ではなく、「どうできるか」を考え、CLIL(クリル、Content and Language Integrated Learning:教科科目などの内容と言語を統合した学習)などを取り入れることで、インプットへの興味動機づけと「考える」態度を育成できるだろう。
「できる感」=「自己効力」を育成するためには、評価のための評価ではなく、できる感を与えるために評価を使っていく必要がある。課題に対するプラニング(自己効力)、モニタリング(熟達目標)、リフレクション(自己評価)といった自己制御(self-regulation)学習による自律的学習を行うことで、メタ認知の育成とメタ言語的な気づきが得られる。教師のための評価ではなく、学習者ができるようになっていることを実感できるような、未来志向的な自己効力を与えるような場が形成されると、それが結果だけにこだわるのではないプロセス指向の学習になる。そのためにはcan-doリストを用いた学習者自身のリフレクション・プラクティス(内省)が非常に大事となり、そこではメタ認知がどう育っていくか、ダイナミック・アセスメントの発想による「介入」を前提とした、伸びの評価が非常に重要になると考えている(スライド2)。
<スライド2>
教育特区で小学校1年生から週1時間の英語教育に取り組んでいる学校の事例を紹介する。
私たちは、リテラシーを教えることに果敢に挑戦しており、先生が小文字を言って、それを子どもが書き取る学習などを行っている。フォニックスも教えており、例えば、音素で「パ」と言うと、子どもが「p」と書くことを6年生の段階で実施している。こういう授業について、興味を持って取り組めたか、集中して取り組めたか、簡単だったか、楽しかったかを、子どもたちに5段階で評価してもらっている。物語について毎回いろいろな質問をして、自分の言葉で回答してもらう。例えば「桃太郎はなぜ桃の中にいたのか?」という質問では、「空から降ってきてぐうぜん入っていた」などと、一生懸命回答を考えている。最後に、今日の授業で嬉しかったことを書くようにしている。
この授業を続け、3学期25回目ぐらいになると、スペルを聞いて小文字を4線上に書いたり、文の書き取りもできるようになる。自己評価を7点満点にして、自分で評価を書き、その理由を記入するように変更している。自己評価を見ると、子どもたちが何を基準に点数を決めるかが見えてくる。スキル的なものを基準にしている子どもが多い。「集中できたから楽しかった」と「集中」と「楽しい」が対になって出てくることも、子どもたちから教わった。
<スライド3>
最後の授業で、次の6年生へのメッセージを書いてもらうと、「何を言ってるのか分からなくなったときは先生のジェスチャーを見たり、何を言ってるか分からなくてもいいからとにかく理解しようと思い、聞いたりすることが大切です。5年生の皆さん、人と比べる必要はありませんよ」などと書いてくれる。
子どもたちからのメッセージを受け、千利休が言われた「守破離」のように、自分が持ってきた理論を基に現場に出て、それを創造的に破壊し、新たな理論を子どもたちと一緒に作っていくことが大事だと考えさせられた(スライド3)。このように、すべてにおいて子どもたちが私の先生であった。
英語の総合力をつけるため、コミュニケーション力、英語力について考えた。Task Handling(can-do)の力と、Language Resources(can-say)の両輪がコミュニケーション力になる。4技能の発想では、Four Skillsの統合が英語力であるとされるが、何のために技能を使うのかという上位概念が抜けている(スライド4)。
そこで、まず1つめの提案である。本来の意味のスキルは、タスクをより効果的に行うためのネゴシエーション・スキルなどのことを言い、そのタスクを実際に行うためのSpeaking、Writing、Reading、Listening は表現モード(Mode of Expression)であると捉えるべきだ(スライド5)。4技能という言葉から脱皮することが、これからの英語教育への大きな一歩ではないかと考えている。
<スライド4>
<スライド5>
例えば、学校の特徴を説明するというタスクでは、求められるスキルはPresentation Skillになる。技能という言葉は、タスクを効果的に行うための技法であると捉えるほうがよい。評価のポイントとしては、Task achievementに重点を置き、Task Handlingの力を問うことになる。多くの表現活動は自然とMulti-modalであるため、「技能統合」は当然の前提となる。統合すべきはタスク、つまりcan-doで、タスクをリストで終わらせず、統合するために、プロジェクト学習が有効であると考える。これが2つめの提案である。
プロジェクトでは、いろいろなTask Handling力が要求されると同時に、プロジェクトに関連した言語のレパートリー(can-say)を増やしていかなければいけない(スライド6)。例えば、生徒がワークショップを開催することを狙い、「代替エネルギーと蓄電」をテーマにプロジェクトを起こすと、この中でdiscussion、presentation、researchを行うためにいろいろなcan-doが求められる。プロジェクトがcan-doを有機的にオーガナイズする。 つまりプロジェクトがcan-doの上位概念になるというのが私の提案である(スライド7)。
<スライド6>
<スライド7>
Learning by doing の実践ということでは、自分が持っている英語を総動員しなければ表現できない。このようなプロジェクトはものすごいパワーを持っている。高校3年間で小型なものから大型なものまで、全部合わせて20程度のプロジェクトを体験すれば、相当の英語力、つまり総合力がつくのではないかと考えている。
英語を学ぶことと使うことが、対立軸で生徒に捉えられている。私たちが思っている以上に、学ぶことはテストのためと捉えている。英語は入試科目の1つであって、それが自分の勉強を規定している構図に見えてしまう。第2部でも中学生に「いつ使うの?」と聞くと、「高校」「大学」と答えたように、英語は常に学びで、使うことが先送りにされている。使いながら上達するという要素があるにもかかわらず、使う場面が全くイメージされていない。
また、New Crownという中学校の教科書は、文法事項を学ぶgetと、実際の文脈で使うuseという構成で成り立っているが、多くの先生がuseを飛ばしている。教室の中でも、実際に使うことがスキップされてしまっている。教師側にも使うという意識がないように思える。
もう1つは、勉強の仕方が、先生や学校にかなり規定されていることである。例えば、子どもの机の上には、学校からもらったプリントが手付かずのまま山のように残っている。もらう資料があまりにも多いため、生徒は自分で考えて処理する力が失われてきてしまっているのではないか。
ノートは、左に本文、右に和文訳を書くというのも非常に規定力が強く、私たちが思っている以上に多くのところで実践している。そうするのがよい学習者像となってしまい、本文を2時間写しているような子も出てくるが、そういう学習が本当に意味があるのか、もう一度見直してもよいように思った。
皆さんは、基本的にcan-doの重要性を話されたが、インタビューの結果や教科書の「use」の部分がスキップされる問題などからも、それが、現在の中学校・高校の英語教育の中で欠けている部分だと分かる。生徒たちに「いつ使うの?」と聞いたとき、「大学に入ってから」と答え、今は使わなくていい、「いつか使う」という発想がこんなに強くあるのかなと驚いた。授業の中で、英語を使う場面が設けられてないのかもしれない。今までFour Skillsと言っていたものは、Four Modesであるという考え方は非常によく分かる。スキルとは、結局のところcan-doのことで、「何ができる」か、例えば、プレゼンテーションができるようになることだ。
教室の中でのcan-doと、教室の外でのcan-doには相関がある。教室の中でディスカッションできる力が身につけば、将来的に実社会に出てそれを使うことができるようになる。その発想からすれば、現段階では授業の中で何ができるようになっていけばいいのかを、しっかり考え、捉える必要がある。
要するに、私たち教師は、「授業とは何をやるところか」を相当深く考えなければいけない。実際に言葉を使って物事を考えたり、コミュニケーションしたりすることをどうやって授業の中に取り入れていくか、しっかりと考えていく必要がある。