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『アジアの初等英語教育はどうなっているのか』
第3回「フィリピンの初等英語教育視察 ―社会を変える教師の熱意―」

青山学院大学 アレン玉井 光江


私は2年前フィリピンの公立小学校、中学校を訪問しました。訪れた町はフィリピン第二の人口を有するケソン市で、推定260万人が暮らすと言われています。フィリピンではもともと義務教育は小学校6年間、高校4年間という6−4制で、その後は大学などの高等教育でした。しかし、他の多くの国々と比べると基礎教育が2年間少なく、その弊害が指摘されるようになり、2013年5月よりK−6−4−2制度(小学校6年間、中学校4年間、さらには高校2年間)が導入されました(一部の学校では2012年度より施行)。

フィリピンの教育課題

フィリピンの教育問題は制度以外にもあります。その1つが恒常的な教師・教室・教材不足であり、もう1つが中途退学です。

私が訪問した学校も全て午前と午後の二部制で、最も規模の小さな学校で在籍数6,734人、大きな学校で9,650人と、日本の小学校・中学校では考えられない数でした。校長先生のお給料も次のように在籍数によりレベルが決められ、それにあわせて支払われているそうです。レベル1は1,000人以下、レベル2は2,000〜3,000、レベル3は5,000〜6,000、レベル4が7,000〜12,000人であり、この地域ではレベル4にあたる大規模校が25〜30校あるそうです。二部制なので先生たちは午前か午後働くだけですが、Master Teacherと呼ばれる指導レベルの先生と校長は午前も午後も働くことになります。

もう1つの課題は児童の中途退学ですが、小学校6年間を終える児童は全体の7割程度だといわれています*。たとえ授業料がほぼ無料でも、授業料以外の出費があり、貧しい家庭では子どもたちが家計を担う働き手になっている現実があります。訪問した小学校の校長先生から伺ったお話ですが、学校の石鹸を補給したところ次の日にはなくなっており、1人の児童が持ち帰っていたそうです。校長先生はその児童を呼び、「必要ならば私の部屋の石鹸を持っていきなさい。学校のものをとってはいけません」と言われたそうです。数ヶ月その子は石鹸をもらいにきていましたが、あるとき「お父さんに仕事が見つかったからもう石鹸はいりません。ありがとうございました」と言いに来たそうです。この事例からもわかるように、子どもたちの暮らしている現状には厳しいものがあり、マニラでは路上生活をしている家族を見ることもありました。貧しい地域の学校では新学期(6月)に児童の体重を量り、栄養が不十分な子どもたちには無料の食事が与えられるシステム(午前部の児童には休憩時間に、午後部の児童には授業が始まる前に)があるそうです。

幼稚園の郷土語教育

フィリピンには言語・文化・民族をセットとして考えると111のグループがあり、言語単体で数えると87の言語が話されているそうです。主な言語グループはタガログ(マニラ周辺)、セブアノ(ビザヤ地方)、イロカノ(北部ルソン)、ビコール(南部ルソン)などです。フィリピンの幼稚園には郷土語教育の時間があります。しかし、マイナー言語では授業を行うだけの適当な教材がないことや、保護者からは郷土語教育以上に英語教育を望む声が大きいことなどの課題があるそうです。

小学校・中学校における英語

英語の授業は小学校1年から始まり、3年生からは数学、算数なども英語で授業、いわゆるEMI (English as Medium of Instruction)が始まります。学力到達テスト (NAT: National Achievement Test)は小学校3年生、6年生、9年生に実施されます。それではケソン市で見学した授業を少しご紹介します。

授業実践1

最初に見学した6年生のクラスでは、見学をする前にすでに各グループに物語が割り当てられていたようで、見学時は最初、グループごとにその物語を発表するところから始まりました。次に先生から「自分たちが担当した物語の状況を良くするにはどうすればいいのか考えて発表してください」との指示が出ました。例えば背の低い主人公の物語では、「背を高くすれば」と想定して、それについてグループ討議がなされました。児童は先生からもらった発表用の紙にしっかりとグループで話し合ったことを英語で書き、発表していました。全ての発表が終わり、授業の最後に「では自分たちのこの授業をどのように改良できるでしょうか。What would you like to do to change? What kind of change will you make for the next generation?」 と先生が質問しました。先生としては大人数のクラスを少人数にして、よりきめ細やかな授業を受けたいと児童に言わせたかったのだそうです。

何度聞いても誰も意見を言わないので、「人数が多すぎると思いませんか?」と先生が言うと「思いません。問題ではありません」と子どもたちは言っていました。彼らは大人数で授業を受けることに慣れており、先生の授業運営が上手なので、人数が多くてもみんなで学ぶことに意義を感じているのではないかと私は思いました。この授業を通して、大人数でもしっかりグループ活動ができること、また、狭い部屋でも先生の創意工夫でアクティブな授業ができることを学びました。見学した全ての授業が大人数のクラスでしたが、どの授業でも子どもたちがとても集中していました。その理由の1つは、インドでも感じましたが、学ぶことに意義を感じて学校に来ている生徒が多いからではないかと思いました。また、より良い社会にするにはどうすればいいのかと問い続ける教師の姿に子どもたちが共鳴しているように思いました。

授業実践2

別の小学校では「裸の王様」を教材として使っている6年生のクラスを見学しました。アンデルセンの有名な童話ですが、言語材料は難しく、例えばwardrobe, rouge, splendid, loom simpleton, ambassador, impostorなどを語彙として学習していました。CDでお話を聞き、質疑応答で内容理解をチェックしたのち、物語の内容を素材にした質問がグループごとに用意され、結末を考えるようにとの指示が出ました(例:The old minister pretended to see the clothes while the ambassador told the truth that he was not seeing anything.)。5分後、代表者がそれぞれの答えを発表しました。例えば先ほどの例に対してはThe emperor will think that the ambassador is not a simpleton because he also didn't see anything. And he will tell to the emperor that the two guys are thief. と英語で書いて発表していました。時制や代名詞など少し問題はありますが、素晴らしい英語力だと思いました。狭い教室に身動きできないような状態で座っていましたが、児童は終始高い集中力をもって授業に臨み、かなり早いテンポの授業についていっていました。

授業実践3

中学生のクラスも見学しました。そのうちの1つでは、ピナツボ火山の噴火により農地がなくなり、マニラに出てきたが、仕事に就けず、ワゴンの中で暮らすことになった一家のお話を学習していました。先生はメインの活動に入る前に「私がマニラで撮ってきた写真だけど」と言ってstreet childrenの写真を見せて"How do you feel every time you see these people?"と生徒に尋ねていました。"I feel sorry about them."という答えが多い中、1人の男子生徒が "I feel angry about myself because I can't do anything. Because I can't do anything. I am just a child."と答えました。が、先生に何もできないのかしらと問われると、"I will be a mayor."と答えました。この生徒は普段とてもおとなしい生徒でこのような意見を言ったことがないので担当の先生は驚き、またとても喜んでおられました。他の生徒たちから "Mayor"と呼ばれて、彼は照れくさそうに笑っていました。

英語の授業で育てたい力

私が見学した全ての授業で、「英語を通して物を考える力を育てる」、もっと言えば「社会を変える力を育てる」ために努力されている先生方の強い思いを感じました。前述したように3年生以上は授業言語が英語になるので、英語教育は母語教育同様、もしくはそれ以上に子どもたちの成長に不可欠なものになります。日本とは言語環境が大きく異なりますが、言語教育を通してcritical thinking, social awarenessを高める質の高い授業をすることの素晴らしさと、それを成り立たせるためにはやはり基本的な英語(言語)力が必要であるということを強く思いました。

アジアの国々での小学校英語の視察を続けていますが、今回の訪問でもフィリピンの先生方から多くのことを学ぶ機会を得ました。小学校で教えながらスラムの子どもたちにボランティアで教えている先生、自分は貧しい家の出身で医者になりたかったけど奨学金がもらえるので教師になり、教職に強い愛を持って携わっている先生。訪問のたびに思うのですが、同じ教職に身を捧げる者として、現地の先生方とのこのような出会いは有難く、一期一会の縁を頂く恵みに深く感謝するしだいです。

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