「研究ノート」は、ARCLEの研究理事・研究員が注目する自由なテーマを執筆するコーナーです。今回は、上智大学・吉田研作先生です。
2008年3月に小学校及び中学校の新学習指導要領が公示され、2009年3月に高等学校の新学習指導要領が公示された。これにより、ようやく小学校から高等学校までの学習指導要領がそろったことになる。そこで、新学習指導要領全般について考えてみたい。
今回の学習指導要領の策定に際して、文部科学省は、PISAなど国際的な学力指標において、日本の子どもたちの読解力の低さに憂慮し、言語力育成協力者会議(以下、協力者会)を招集し、子どもたちの「言語力」の育成に力を入れることにした。協力者会は、言語力を次のように定義している。「言語力は、知識と経験、論理的思考、感性・情緒等を基盤として、自らの考えを深め、他者とコミュニケーションを行うために言語を運用するのに必要な能力を意味するものとする。」つまり、言葉を味わい、それを使って思考し、他者としっかり向き合い、コミュニケーションをするための道具と定義しているのである。
また、言語力は、「国語科を中核としつつ、すべての教科等での言語の運用を通じて、論理的思考力をはじめとした種々の能力を育成するための道筋を明確にしていくことが求められる。その際、各教科等の特質を踏まえて取り組むことが重要である(一部、筆者要約)」という。つまり、あらゆる科目を通して、子どもたちが言語をしっかり味わい使えるように教育しなければならない。「言語力」は単に外国語(英語)だけの問題としてではなく、日本語力の問題として強調されているのである。
では、新学習指導要領において、外国語(英語)がどのように捉えられているかについてみてみよう。まず、小学校の外国語(英語)活動は何を目指しているか。新学習指導要領の目標をみると、小学校英語活動が英語を頭で覚えるのではなく、体で「体験的」に覚えることを目指していることがわかる。英語そのものを覚えるのではなく、音声や基本表現に「慣れ親しむ」ことにより、コミュニケーション能力の「素地」を育てることが目標となっている。つまり、コミュニケーションの道具として英語を体験し、コミュニケーションをすることの楽しさ、大切さを感じ取れるようにすることが、もっとも大切なのである。
小学校時代は、日常生活や学校生活を中心にクラスメートたちと交わりながら、英語でコミュニケーションをする、という日常会話能力(BICS1)を体験的に学ぶことが目的とされ、さらに内容的には、6年生では日常生活だけでなく、国際理解にかかわる交流も含めることが求められている。
次に、中学校の外国語(英語)教育の目標をみると、中学校では小学校と違い、具体的な4技能の指導が提示されている。つまり、中学校では単なる体験だけでなく、より具体的な英語の学習が求められているのである。
また内容的には、1年生では、基本的には身の回りの出来事などを中心に英語によるコミュニケーションができるように指導することになっているが、2年生になると、もう少し高度な認知的言語活動(伝える、判断する)を求めている。最後に3年生では、さらに高度な言語活動として意見を述べるなどの活動が含まれてくることがわかる。
さらに、高等学校の学習指導要領の目標をみると、高校では中学校と違い、単なる4技能の獲得よりも、情報や考えなどの理解と発信に重点が置かれていることがわかる。つまり、単なる技能としての言語から内容の授受の道具としての言語、という視点が強くなっていると言えるだろう。
もうひとつ大切なことは、現行の学習指導要領が、オーラル・コミュニケーション、リーディング、ライティングという技能別編成になっているために、4技能の統合的な科目であるはずの英語Tと英語Uが、あたかも従来の文法訳読のための科目のような受け取り方がされているのに対して、今回の学習指導要領では、コミュニケーション英語、英語表現という、統合的な科目が中心になっていて、技能別科目としては、英語会話がひとつ残っているだけ、ということである。これにより、コミュニケーション英語と英語表現では、4技能を統合的に教えなければならないようになり、「授業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」ことが求められるようになったのである。
今回の改訂の目玉のひとつでもある、コミュニケーション英語の内容について少し詳しくみてみたい。まず、リスニングについてみると、コミュニケーション英語Tでは事物の紹介や対話が聞き取りの対象となっているが、コミュニケーション英語Uでは、さらに進んで報告や討論が加わっていることがわかる。つまり、TがまだどちらかというとBICSレベルの聞き取りに重きが置かれているのに対して、Uでは、CALP2レベルの聞き取りに重点が移行していると言えるだろう。次に、リーディングについてみてみよう。ここでも、コミュニケーション英語Tでは説明や物語が材料として挙げられているが、コミュニケーション英語Uでは評論や随筆などが加わり、さらに、読む目的に応じて速読や精読の区別をして読むことを求めている(これは、現行の学習指導要領のリーディングにも述べられていることだが)。つまり認知的にかなり高度な読解技術の運用を求めていると言えよう。では、スピーキングはどうか。ここでわかるのは、コミュニケーション英語TもUもディスカッション力や対話力の育成を求めているが、Uではさらにその結果をまとめるという、より高度な能力の育成が要求されていることがわかる。
さて、英語表現TとUはそれぞれ選択科目だが、この両科目は、自己表現力を重視した発信型英語力育成のための科目である。その内容を少し検討してみよう。まずスピーキングからみてみると、特徴としては、「即興」で話す力が強調されていること、また、発表や議論、説得などの認知的にも高度な言語活用能力の育成が求められていることだが、TからUになると、それがより高度になっていることである。次にライティングについてみてみると、TからUになると、さまざまなジャンルの文章を書くことや、表現の工夫など、より思考を重視することが強調されている。また、高度な発表能力の育成については、Tではスピーチやプレゼンテーションの仕方を学び、それを実践することが求められているが、Uでは、さらに、ディベートのやり方の知識と実践が求められていることがわかる。最後に発信に必要な思考との関係についてみてみると、Tでは、意見の比較、共通点と相違点の整理などが強調されているが、Uではさらに考えを広げ、課題の解決に向けて当事者同士が協力し合うことの重要性が強調されていることがわかるだろう。
新学習指導要領をこのように分析してみると、かなり高度な能力が求められているが、忘れてはならないのは、これが、単に英語だけの問題ではない、ということである。すでに述べたように、英語以外のあらゆる教科における言語力の育成が前提となっていることが、英語でここまで高度な言語能力を求める背景にあるのである。
このようにかなり高度と思われるCALPレベルの能力が、客観的にみて、たとえば、CEFR(Common European Framework of Reference for Languages)やそれを日本に当てはめた CEFRjapanの基準に照らした時にどのようなレベルの能力なのかについて検討してみると、かなり高いレベルの能力が求められていることが想像できる。新学習指導要領で求められている英語力は、BICSを超えたCALPレベルのものである。そして、これが本当に習得されれば、日本人の英語力も国際的に通用するものになるのではと思われるかもしれない。しかし、次の結果をみると、何かが足りないのではないか、という疑問が湧いてくる。
2006年から、日本でも全国高校生英語ディベート大会が開かれてきた。今まで高校生が英語のディベートをするというのは、SELHiなど、ごく少数の学校に限られてきたが、SELHiの数が増え、また、SELHiでなくても伝統的に英語教育に力を入れてきた学校が集まって全国大会が開かれるまでになったことは、素晴らしいことである。
この3年間の入賞校のほとんどがSELHiだったということは、それだけコミュニケーションを重視した英語教育に徹すれば、子どもたちは英語で議論できるようにまでなる、という証拠だと言えるだろう。
ところで、この3年間の大会の論題をみてみると、以下のとおりであった。
2006年 「日本は英語を公用語にすべきである」賛成か、反対か
2007年 「日本のすべての小・中・高等学校は、週6日制にすべきである」賛成か、反対か
2008年 「日本は、法的な成人年齢を18歳に引き下げるべきである」是か否か
どれも、日本の高校生が論じるには、適当なものと思われるかもしれない。
しかし各年度の優勝校が世界大会に出場したところ、いずれの年度も成績は芳しくなく、1勝もできずに終わった年もあった。もちろん、世界大会には英語圏の国も入っているので、日本人のように、英語を外国語として学んでいる生徒の場合は圧倒的に不利であることは間違いない。しかし、その中で韓国は、世界10位前後と非常に高いランクにつけていることを考えると、その所為にばかりしているわけにはいかない。
そこで、世界大会の論題をいくつかみてみよう。なお、世界大会は日本と違い parliamentary debateという方式を使っており、いくつもの論題があらかじめ、あるいは、その場でいきなり与えられる、という点で非常に難しい。
Seoul大会 (2007) | |
Final: This House would abolish the Nuclear Non-Proliferation Treaty | |
Washington大会 (2008) | |
Final: This House would expand the number of permanent members of the UN Security Council | |
Athens大会 (2009) | |
Grand final motion: This House believes that governments should grant amnesties to all illegal immigrants |
また日本大会の論題は、非常にlocalな話題にとどまっているが、世界大会の論題は、まさに国際問題や人権を含んだglobal issueになっている。問題は、はたして日本の高校生にこのような問題が論じられるか、ということだろう。大学生にとっても難しいものが多いのではないか。
新しい学習指導要領は、非常に高度な言語力の育成を目標としており、それも英語のみならず、日本語でも、実践することを明確に述べていることは、今後の日本の英語教育に大きな影響をもたらす可能性があると言えるだろう。しかし、どんなにpresentationやdebateの技術が進歩しても、何を伝えるのか、その内容が問題として残る。
今後は、コミュニケーション能力と同時に、内容面での国際化とCALP化が必要になってくるだろう。また、高校までの英語教育がここまで高度化してくると、大学における英語教育の在り方について今後もっと真剣に議論しなければならないが、文部科学省は国際化拠点整備事業(グローバル30)で、大学に対して、できるだけ多くの内容科目を英語で開講するよう指針を示している。大学で高校までに育成されるであろう英語力をさらに伸ばすようにしなければならないのである。
[参考文献]
Council of Europe. (2001) Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment. Cambridge: Cambridge University Press.
World Schools Debating Championships http://www.schoolsdebate.com/
岡秀夫・三好重仁・川成美香・笹島茂・高田智子(2008) 「CEFRjapan構築を目ざして」『第二言語習得研究を基盤とする小、中、高、大の連携をはかる英語教育の先導的基礎研究(研究種目:基盤研究A、研究課題名:課題番号16202010)研究成果報告書』、pp.1-70.
小池生夫(2008) 『第二言語習得研究を基盤とする小、中、高、大の連携をはかる英語教育の先導的基礎研究(研究種目:基盤研究A、研究課題名:課題番号16202010)研究成果報告書』
全国高校生英語ディベート大会 http://gtec.for-students.jp/debate/index.html
投野由紀夫(2008) 「中国・韓国・台湾・日本の英語教科書の特徴分析:CEFR準拠コーパスを使った比較」『第二言語習得研究を基盤とする小、中、高、大の連携をはかる英語教育の先導的基礎研究(研究種目:基盤研究A、研究課題名:課題番号16202010)研究成果報告書』、pp.97-102.
文部科学省(2007) 「言語力の育成方策について(報告書案)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/shiryo/07081717/004.htm
文部科学省(2008) 「小学校学習指導要領」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/index.htm
文部科学省(2008) 「中学校学習指導要領」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/index.htm
文部科学省(2009) 「高等学校学習指導要領」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/kou/kou.pdf
文部科学省(2009) 「国際化拠点整備事業(グローバル30)」
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/1260188.htm
吉田研作・藤井里美(2009) What CAN-DO criteria do the study guidelines require? , ASTE Newsletter 57, pp. 23-37. http://www.bun-eido.co.jp/aste/aste57.pdf