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第3回研究会レポート
「上智大学・ARCLE応用言語学シンポジウム2008−小学校英語必修化へのメッセージ」に向けて


11月23日(日)、上智大学において、小学校英語必修化に向けたシンポジウムを開催いたしました。(https://www.arcle.jp/event/)
それに先立ち、9月14日(日)および23日(火)の両日にわたり、シンポジウム出席者の先生方による事前研究会が開かれました。ここでは、その研究会において特に話題となった点について簡単にご紹介します。これらの話題については、シンポジウム当日にさらに議論を重ねましたが、具体的な内容については、また後日ご報告いたします。

コミュニケーション能力の「素地」とは何か

文部科学省の発表した新学習指導要領によれば、小学校で行われる外国語活動の目標は以下のように示されています。研究会ではここにうたわれている「コミュニケーション能力の素地」という文言についてディスカッションがなされました。

「小学校学習指導要領解説――外国語活動編」(平成20年8月、文部科学省)より抜粋
<目標>
外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。

外国語活動の目標は次の三つの柱から成り立っている。
(1)外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深める。
(2)外国語を通じて,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図る。
(3)外国語を通じて,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませる。
以上の三つの柱を踏まえた活動を統合的に体験することで,中・高等学校等における外国語科の学習につながるコミュニケーション能力の素地をつくろうとするものである。

・指導要領や解説にある「コミュニケーション能力の素地」とは具体的に何を指しているのか、これがはっきりしていないことが問題ですね。この内容を具体的にどう説明するのかは学校現場に委ねられていて、しかも2年間の移行措置期間は柔軟にやってくださいと言われています。小学校で素地をつくり、中学以降にその素地のもとにコミュニケーション能力を養成するということですが、その素地がどのようなものになるのか、その上にどういうものを養成するのか、そのあたりを考える必要があります。(田中茂載)

・私はいろいろなところで話をするときに、建物に例えて言うことが多いのですが、例えば荒地の上にいきなり基礎をつくっても基礎は傾いてしまって、その上に建物をつくっても建物は傾いてしまいます。小学校で「英語を使う」という体験をまったくさせていないところに英語の基礎を教えても、無意味なのであって、ちゃんとした地ならしが必要です。具体的には、私は素地というのは、チャンク的なものだと思っています。チャンクを通してコミュニケーションに役立つような会話表現などを、体を使って覚えてしまう。それを使って実際にコミュニケーションしてみる。そこで通じたという喜びを感じさせることが「素地」なのであって、そこにはこういう規則があるよ、と教えるのが中学校で担う「基礎」です。その素地がなければ、いくら規則を説明してもなかなかわかりません。今は、その素地がないところに中学に入って英語の4技能をいっぺんに導入しようとしているから、中学3年生の10人のうち3人は英語の授業がわからないという事態になってしまっている、これが大きな問題です。(吉田研作)

「スキル」と「コミュニケーション」

また、英語の「スキル」と「コミュニケーション」についても話し合いがなされ、文科省の主導する研修などでは、さかんに「小学校では英語のスキルを教えないでほしい」といわれていることに対して多くの疑問が出されました。

・「コミュニケーション」と「スキル」とを分けて考えるという発想が理解できません。研修を受けた先生方からよく「外国語活動の主目的はあくまでもコミュニケーション能力を育てることであり、英語のスキルを育てることではありません」と聞きますが、それは矛盾していますね。(アレン玉井光江)

・(文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会の)「外国語専門部会」でもさんざん議論したのですが、私や金谷憲先生(東京学芸大学教授)などが「スキルがなくてはコミュニケーションできない」と主張しても、なかなか受け入れられないんですね。スキルを体系的に教えてはいけない、というのはわかります。それは中学校以降にやること。でもコミュニケーションするのにスキルが何もなくて、いったいどうやるの?という疑問があります。(吉田)

東アジア諸国、特に韓国の英語教育と日本との決定的違い

韓国では1997年から小学校で英語教育が必修となり、小学校3年生以上に週1〜2時間(小学校5・6年生で2時間)行われています。 教師の研修時間ひとつとっても、日本とは比べ物にならないほど熱心な韓国の英語教育事情を支えるものは何なのか、日本との違いはどこにあるのか、についても話題になりました。

・韓国の小学校で教えている教師と話す機会がありましたが、「小学校では、何を教えるかなどということではなく、中学、高校そしてその後も一生英語はやらなければいけないものだ、という思いを育てるのが一番の目標」といわれて、目からウロコが落ちる思いがしました。「なんで英語やるの?」という疑問は韓国では出ないんですね。英語は特別なものでも、贅沢なものでもなく、これから絶対に必要なんだ、という意識が国民全体にあります。そこが日本との決定的違いですね。日本ではいまだに「小学校で英語を教えると日本人のアイデンティティが揺らぐ」とか、「日本語がおかしくなる」といった意見が出ます。週1回学校で教えたぐらいで、そんなことには絶対ならないのですが。(アレン)

これからの日本の英語教育について

小学校の英語教育をどういう方針のもとに、何を目標に実施していくのかに関しては、小学校だけではなく、その後の中・高・大学を含めて考えていく必要があるという観点で、さまざまな意見が出されました。その一部をご紹介します。

・日本は海外にモノを輸出しないと生きていけない国にもかかわらず、英語教育に対する熱は一時期より明らかにトーンダウンしてきているように思います。企業の人たちももっと英語をやらなければいけないのはわかっているはずなのですが、今、それを声高に言う人はいませんね。それで、どうやってこれからの時代を生き抜いていくのかが疑問です。国も結果を短期間で求めすぎているような気がします。SELHi(Super English Language High School)での実践も、助成期間の3年間では期待した結果を出すのはなかなか難しいのが現状です。こうした実践が目に見えた効果を表すにはそれなりの長い時間が必要で、期待通りの効果がすぐに見えないからといってやめてしまっては、意味がありません。今回の小学校での英語必修化も同様で、長い目で見守っていかなければならないと思っています。(吉田)

・小学校英語の成果をどう考えるかということでいうと、例えば、小学校から英語を取り入れることで最終的に日本人の英語力は高くなる、という見せ方が1つ、そしてもう1つは外国語に限るかどうかはわかりませんが、日本人のコミュニケーションスタイルが変わったというか、改善されたという見せ方もあります。 (根岸雅史)

・日本ではグランドデザインに関する議論のようなものがなく、小学校は小学校でつくり、中学校は中学校の指導要領がつくられ、それぞれにグランドデザインをイメージして、自分のところだけつくってる、 という感じがありますね。そういうときに、例えばCEFR(Common European Framework of Reference for Languages: learning, teaching, assessment)1 のようなものが参考になると思います。(根岸)


このほか、研究会ではいろいろな意見が出ましたが、シンポジウム当日はこれらの意見も含め、これから小学校で英語活動が始まることによって、教育現場はどう変わるのか、そこでの課題や見込まれる成果を予測し、課題をどのように乗り越えられそうかなど、議論を深めました。また、今回の必修化を契機として、日本の英語教育全体を今後どのような方向に持っていくべきか、フロアのみなさんを交えて議論をしました。シンポジウムの内容については、追ってご報告いたします。(事務局)


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