2012年6月3日にARCLE研究会を開催しました。今年度のARCLEは次年度より新課程を迎える高校英語をテーマに活動します(12月にシンポジウムを開催予定です)。今回の研究会では、新課程での高校英語について、「授業を英語で」行うということはどういうことか、どんな力を身につけることができるのかなどの論点について議論しました。ここでは、その議論を踏まえた所感をご紹介します。
高校での英語の授業の課題は、授業をいかに活性化するかである。生徒にとってエキサイティングな授業にし、生徒に真の英語力をつけさせるための活性化である。「授業を英語で」はあくまでもその1つの手段であって、そのことを目的化してはならない。英語で授業することで、生徒が自然に英語を使う流れを作り出せるかどうか、そして英語学習の効果を高めることができるかどうかが重要かつ考慮すべき点である。
英語での授業の実践例を観る機会を得たが、教師あるいは生徒が英語を使うという際に、前提として押さえておかなければならないことがある、という感想をもった。その前提というのは、授業での英語は spontaneous でなければならず、そのためには自然な英語であることが求められるということである。そのために必要なのは、必要に応じて情報を追加し、状況に応じて軌道修正を行うという実践的態度で英語を使うことである。それが会話の基本原理だからである。
英語の授業を英語でやれば、すべての問題が解決するわけでもなく、日本語を用いているからといって、その授業が絶対ダメというわけではない。しかし、英語の授業を英語でやることで、英語教育のいくつかの問題が連鎖的に解決される可能性のあることは確かだろう。英語で授業を行うことにより、圧倒的に読みに偏った指導から、技能のバランスのとれた指導への移行が実現したり、言語知識の集積をめざす指導から、運用のための練習を重視した指導に変わったり、教室がコミュニケーションの場に変わったりする可能性がある。ただし、これらの変革が実効性を持つためには、入学試験もこうした指導の学習成果をきっちりと受け止めるように大きく変わる必要がある。
「授業を英語で」とは、日本語で行っていた授業を英語で行うという表層的な変化を指しているのではない。これは「英語が使える日本人1」の育成を早急に進める必要性から出てきた改革である。確かに、大学で授業をしていても、学生にとって英語はいまだに勉強の対象であり、彼らの「英語は使うものである」という意識は低い。どうすれば改革は成功するのであろうか。
私は小学校6年生を教えているが、高学年になると子どもたちの学びのスタイルに大きな変化が起こる。学習が個別化し、内側に向かっていく。思春期特有の精神的な変化もあるとは思うが、人と交わり、意見を交わし、必要とあれば対峙することを恐れず、協働していくことを、避けるようになる。このようにコミュニケーションの基本となるような姿勢が教室の中から消えていく。
英語の教室という言語環境の中で本気で、人と意見を交換する場面、つまり本物のsocial interactionが求められる場面をつくり、生徒がその中で英語を使い協働していくことを学ぶように指導する。決して簡単なことではない。しかし言葉は人との交わりの中、意味のある文脈の中でしか育たない。この当たり前のことをしっかりと銘記し、授業を根底から見直していくことが、我々英語教師に求められていると強く感じた。
新学習指導要領において、来年度の高校英語では原則として英語で授業をすることになったが、どのような英語力が教師に求められているのだろうか。1つヒントとなるのは教育実習生のための授業力Can-DoリストであるEPOSTL2の、日本語版のJ-POSTLであろう。他にも教師の発達枠組みを示したEAQUALS3のA Profiling Grid for Language Teachersなども近年公開されており、言語教師に求められる力が記述されている。「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」でも学習者のCan-Doリスト作成への提言と同時に、教師の英語力や指導力の強化が掲げられている。文部科学省が全国の高等学校・教育委員会に配布した授業実践事例映像資料(高等学校版)には、様々な英語による授業の様子が収められているが、学習者の英語を引き出し、さらなる発話を促して、「できる感」を与えるためにも、授業中の教師の言語使用が要である。一方的な説明に終わらない、学習者に英語を使わせるためのひと工夫が求められる。
新課程での高校の「英語の授業は英語で行うことを基本とする」については、そのために考えなければならないことが多々ある。1つは、「基本とする」という表現をどう解釈するか。少なくとも、すべて英語で、という意味ではない。ならば、何をどこまで、どのように英語で行うのか。また、単に教師に英語力があればよいのではない。授業力に関わる英語力が求められる。それはどういうものなのか、どう訓練すればよいのか。もう1つ考えなければならないのは、英語で授業を行うからといって、オーラルのみでなく、4技能すべてに関わることだということを忘れてはならない。さらに、教師だけが英語で授業を行っても不十分で、生徒も英語を使えなければならない。生徒がペアワークやグループワークのときに使える英語(質問したり、反論したり、主張したり…など)も併せて考える必要がある。英語で授業を行うと一言で言っても、そう簡単なことではないのである。
1 | 文部科学省 「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想の策定について http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm |
2 | http://epostl2.ecml.at/ |
3 | http://www.eaquals.org/ |