2013年6月1日にARCLE研究会を開催しました。今年度のARCLEでは、学習や指導を規定する大きな要因の1つである入試について、特に高校入試を研究します。また、中学生・高校生がどのような英語学習をしているのか、その実態も把握していきたいと考えています。それぞれの研究を進めるにあたり、今回は静岡大学 亘理陽一先生、駒沢女子大学 工藤洋路先生をARCLE分科会メンバーとしてお迎えしています。今回の研究会では、ARCLE研究理事とともに、これらの2つの研究テーマについて、どのような点にフォーカスして研究を深めていけばよいかを議論しました。ここではその議論を踏まえた所感を紹介します。
今年度のテーマの1つは、高校入試だが、なかなか難しい課題である。各地方自治体単位の入試は、それぞれの地域でどの教科書が使われたかによって、その材料が決まってくる。使用教科書の種類が多い地域では、語数が制限され、非常に厳しい(脚注の多いテストになることがある)。また、テストの内容を見ると、文法や語彙の知識を問うものがどうしても多くなり、コミュニカティブな能力を見るテストがなかなか作れない。それぞれの問題のスペックが明確でなく、何を求めているのかが見えないことも多い。一方、教育課程実施状況調査の際に作られているテストは、少なくとも学習指導要領の目標の達成度を見るためのスペックを明確にして、それにあった問題が出題されている。それも、スピーキングを除いた3技能すべてでスペックが決められ、それに合わせた問題作りがなされている。各教育委員会にとって、教育課程実施状況調査で使われているテストは、色々参考になるのではないだろうか。
「高校入試」とはどういう試験か。それは合否という選抜を目的とした達成度テストに実力テストを加味した試験である。達成度テストということは、既習内容を反映しているということであり、その内容は学習指導要領にあるといってもよい。学習指導要領では英語の知識だけでなく、英語を使う力の養成が求められている。しかし、高校入試は「使う力」をどういう形で測定しているのだろうか。高校入試には形式的制約というものがあり、それが同様のテスト形式の再生産につながっているように思われる。入試は何をどう学ぶのかを決定する大きな要因であり、それは模擬試験、問題集のあり方にも大きな影響を与えている。入試が変われば英語教育が変わるというのは正鵠を射た考え方だ。そのためには形式的制約を超えて、形式的可能性(新たな設問の可能性)を探ることが必要だと思う。
日本人の中学生や高校生が英語学習をどのようにどのくらいやっているのか、そして、それらの決定はどのようになされているのかは、意外とわかっていない。学校や塾の宿題に追われているのだとしたら、その宿題の内容はどのような内容か。授業は予習が前提なのか、復習を重視しているのか(この辺は、中学と高校によっても違うかもしれない)。また、予習・復習において、それぞれどのような学習が求められているのか。左ページに教科書の英文を書き写して、右ページに日本語訳を書くというような典型的な予習や辞書引き活動には、どれだけの時間がかけられているのか。さらに、これらの家庭学習以外に、中学生・高校生が自分から行っている英語学習はどのようなものか。こうした学習行動と英語力はどのような関係にあるのだろうか。今後の調査で、これらについて少しでも明らかになればと願っている。
今回討議された英語学習について意見を述べたい。通常、私たちは英語学習の成果を、英語でのコミュニケーション能力を測定することで評価している。しかし、Kohonen(2006)1がフィンランドの外国語教育に言及しながら述べたように、学習者は外国語を学びながら(1)自分の言語学習に責任を持つ力、(2)コミュニケーションが必要な場面、または一般の学習場面で曖昧さや不明確さを許容する力、(3)自分の言語学習を振り返り、自己評価する力なども獲得していく(スペースの都合上、ここでは3点だけを紹介している)。このような力は、言語テストからは間接的にしか見えてこないので、教師が授業の観察を通して継続的に見取ることが必要となる。
教師の持つ学力観が指導方法や試験内容を決定する。学習者はその指導方法や試験の内容・方法に応じて自らの学びを選択することになる。例えば、家庭学習として、ノートの見開きの左ページに教科書を写し、右ページにその訳を書き込む作業にかなりの時間を割くといったことが起こっているが、必要なことなのだろうか。また、教科書を暗記しておけば点数が取れてしまう試験は、暗記するための学習を生徒に押し付けてしまうことになる。そこから言語の知識を活用する言語活動が生まれてくるはずはない。言語を学ぶことの楽しさを感じることも少ないはずである。まずは、育てたい英語力が明確になるCan-Doリストを作成する意義を、しっかりと考えて欲しい。そうすれば、指導も評価も大きく変わってくるはずである。
高校入試には、到達度テストの要素と熟達度テストの要素が混在している。語彙・文法・機能表現の知識を問う問題とタスク処理を求める問題も、大問1つの中にさえ混在している。また、受験生自身の自由な発想・意見を求めるような高度なタスク的問題がある一方で、用意された状況・場面を理解していなくても、狭い範囲の知識で答えられるような「タスクもどき」の問題も少なくない。しかし、出題意図や形式的制約を考慮しつつ、与えられているタスクの複雑さや身近さ、求められる認知的処理などの観点と解答形式・条件を組み合わせることで、現在の高校入試の全体像・傾向を立体的に把握できるものと考えている。
中学生と高校生が英語をどのように(自律的に)学習しているかという実態を調査するにあたっては、学校の英語の先生の指導の持つ影響力が大きいことをかなり考慮していく必要がある。これは、自律的に学ぶ力を育てることを目標にしながらも、一方で、学習時間を増やすための主要な手段として、宿題や課題の中で、先生が生徒の学習内容や学習方法までほとんど規定してしまっているという状況が存在するからである。中学校の新課程では、授業時間数が週3時間から週4時間に増加されたが、指導すべき語彙数や教科書の英文量が増加したことなどによって、「英語」を教えることに授業のほとんどの時間が費やされ、「英語の学び方」を教える時間が取れないとの声も先生方から聞こえてくる。「英語の学び」と「学習方法の学び」を別々に捉えるのではなく、生徒が英語を学びながら、同時に(自分なりの)英語の学習方法も考えられるような授業作りが、今後より一層必要となる。