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オンラインセミナーレポート
詳細:「上智大学・ベネッセ英語教育オンラインセミナー 2025:
これからの英語教育『変わること・変わらないこと』User・Learnerの2つの視点から考える」



第1部 提案
「これからの英語指導において『変わること・変わらないこと』」


 酒井先生よりこれまでの継続調査等を振り返った情報提供をいただいた後、4人の先生に、学習者がUserとなるコンテンツや指導提案を「聞く」「読む」「話す」「書く」の技能別にお話しいただきました。
 以下は、当日のご発表内容の概要を事務局でまとめたものになります。

情報提供 酒井 英樹(信州大学)

 今後の英語指導において、GIGAスクール構想、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実、第二言語習得論や外国語教授法、学力観と学習過程をグローバルな視点とローカルな視点の両方から見ることが大切になります。
 これまでに関わった継続調査等からは、英語を使う力を高める学習方法が分からない中高生が、存在する実態が見えています。また、友だちやALTと話をする自信はあるが、学校の外で英語が使える気がしない、英語力がついた気がしないと感じる生徒も依然多く、教室内での言語活動だけでは十分ではないと感じています。生徒だけで外の世界と出合うことへの難しさから、外の世界と教室の世界をつなぐ役割として、教師の指導や支援、寄り添いが大事です。授業の中で学ぶだけでなく、将来英語を使うユーザーとしての生徒の気持ちを高めていくことを大切にしていきたいです。

リスニングの視点から 金森 強(文教大学)

 『聴き解く力』とは、自分なりに思考判断し、意味処理をしながら、しっかり聴くことです。文字で文字を処理して理解するだけの指導では、バランスの取れた英語力にはなりません。リーディング活動やライティング活動においても、読み手は、文字を音声化して読みます。相手に何を伝えたいのか、それを伝えるためにはどのような話し方をし、音声で届けるのか。また、誰に何のために書くのかを意識して聴き、自分が書いたものはどのような音声となり、読まれるかを意識しながら書くことで、書き方も変わってきます。言語は総合的に学んでいくほうが、楽しいはずですし、そのような授業づくりをしたいものです。読んでくれる人、聞いてくれる人を意識しながら、発信や表現をする言葉やコミュニケーションを意識する授業づくりをしたいものです。そのためには、音声を無視してはいけないだろうと思います。アイコンタクトをすると良いと言われますが、大切なのは目の表情です。そこに願いや伝えたい思いがあるので、その体験をしながら自己表現を広げたいものです。いつかのための英語ではなく、今、教室で先生と友だちと英語を使って何かを創造する、つながっていくことが必要で、それは今後も変わらないと思います。英語の音声から学びを広げ、学習者が自己表現をしていく。音声言語、自分の声として人に伝えることは変わらず大切なことです。

リーディングの視点から 根岸 雅史(東京外国語大学)

 OECDが行った調査から世界の15歳児がどのように英語と関わっているのかを見てみると、ポルトガル人は、授業時間以外で、texting、音楽を聴く、ソーシャルメディアやオンラインゲーム、寝る前に本を読むなど、様々な場面で英語を使用している実態が見えました。2006年の「東アジア高校英語教育GTEC調査」では、韓国の生徒の6割が英字新聞を読むなど、多くの形で教室の外でも英語に触れていました。それに対し日本の中高生は、外で英語を使っていない傾向が見られましたが、今も同じような状況に近いのかなと思います。そこで、15歳の私のプロフィールを考え、どのような英語を読むだろうかと考えてみました。興味が一番に通ずるところで、大好きなサッカーの勝敗表や好きな選手に関するファンサイト、料理にも興味があるので、レシピ紹介サイトなど、たくさんのオーセンティックなテキストが読めることが分かりました。そこで考えることは、教室にとどまらずに、出ていくことの必要性を生み出せることの重要性です。きみたちでもできることがある、教室を脱出してみよう、と生徒の背中をそっと押すことが大切ではないかと思います。

スピーキングの視点から 長沼 君主(東海大学)

 言語活動が中心となりがちのCan-Doですが、CEFRでは、文法能力、言語構造的能力だけではなく、談話能力や社会言語的能力、方略的能力等をCan-Doとしてしっかり位置づけ、レベルごとに整備され始めています。
 ユーザーとラーナーの視点において、学習方略が注目されがちですが、コミュニケーション方略に注目をし、意味を意識しながら、使いながら学んでいく視点があると、学習方略を気にすることなく使えると思います。日本語教育からの視点になりますが、国際交流基金(JF)で分かりやすい概念図、スタンダードの木があります。根として言語能力がはられ、中間に言語方略、それが花開くと言語活動になっていく。下支えする能力が重要ということです。
 近い将来の共生社会に備え、付加言語の捉え方は大事です。母語話者としての立場を意識しながら、外国語話者として、母語話者を両方行ったり来たりするような能力観、方略能力、会話を継続していくためのストラテジー、相手が共感して何か話したくなる質問を発想できるかが重要になります。また、人と人、人と情報、様々な場面で仲介活動が行われています。対話を通して言葉を形成し、考えを形成する、引き出しながらつないでいく「仲介(媒介)活動」にも、これからの教育を考える上での参考があると思います。

ライティングの視点から 工藤 洋路(玉川大学)

 ユーザーとラーナーを考えると、縦にuseとlearn、横にユーザーモードとラーナーモードを取り、4つのパターン分類ができるのではないかと思います。一番の理想は、ユーザーモードでuseをし、実際のコミュニケーションを取っていくことです。書くことに関して言えば、「意味伝達の目的で書いている」ことになります。実際のコミュニケーションを教室内で成立させることは難しいですが、架空設定の中でも、教師として、学習者にラーニングを引き起こし、介入しながら、一緒にlearningとusingを行き来することが大切です。例えば、単語や文法を学ぶだけでなく、それを使って書いてみて、通じるかを考えてみる。ユーザーもuseするだけではなく、通じたことや相手が喜んでくれたことから何を学んだかを考え、読み手を意識することは大事です。 今のAI時代であっても、ユーザーとラーナーのサイクルを回し、授業設計や活動設計を考えていく役割として教師は非常に大事であると思います。

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第2部 鼎談
「これからの英語教育における『教師のチャレンジ』」


 『教師のチャレンジ』について2人の先生にご発表いただいた後、進行役の根岸先生と共に教師の役割等について議論をしました。
 以下は、当日のご発表内容の概要を事務局でまとめたものになります。

和泉 伸一(上智大学)

 学習者が外に出たときに使用できる英語、実際に言語を使うことを意識した英語指導が求められています。Learner perspectiveかUser perspectiveか、教師のUser視点をどのように授業に取り入れるかが鍵となりますし、生徒からのLearner視点もあります。どちらかではなく、There must be an interactive relationship.どちらの視点もうまく授業に融合させていきたいものです。教師自身もまた生涯学習者として「Teacher=Learner」という視点も重要になります。英語教師は、文法学習、新出単語や表現の指導を重点とした英語指導、learning firstに注力し過ぎず、問いに対する感想やコメントも含めて、生徒同士や教師との自由なやり取りを交えた活発な授業づくりを目指すことが大切です。How can you learn without using it? 教師が生徒を導き、英語という言語を教える役割であることは、今後も「変わらないこと」であると考えます。

津久井 貴之(群馬大学)

 英語教師の役割が多様化している中で、生徒がUserとしての体験を持てるように、先生自身がUserモードにすること、教師が橋渡し役、仲介役となることが、重要なチャンレンジになると考えます。
 生徒がLearnerではなく、User体験をするためには、先生自身がUserとしてアプローチをすることが大事です。具体的には次の3点です。1点目は指導手順の中で比較的定型ではない部分、はみ出したところで、先生が英語を使用する。2点目は、教える前に、1人のUserとして、教科書本文をパッセージとして読み、感じた思いや疑問を先生から示す。それが、教科書を読んだときに、Userとして考えたこと、感じたことを共有する活動づくりのヒントになると思うからです。3点目は、生徒の発話、表情や教室の雰囲気から先生自身が感じたことや思いを率直に伝える場面を授業の中でもつくる。活動をデザインする役割を教師が持つことも重要と考えるからです。

 先生方からの発表後は、進行役の根岸先生を交え、Userのマインドセットやロールモデル等についての見解を交わし、具現化につながるヒントをいただくことができました。

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登壇者からのコメント セミナーを終えて


以下、登壇者の先生方に執筆いただいたセミナーを振り返ってコメントとなります。

和泉 伸一(上智大学)

 これまで英語教育は数々の変化を重ねてきましたが、教師が生徒を導く役割は変わりません。今後は、英語を「教える・学ぶ」(Teacher/Learner視点)だけでなく、実際に使うUser視点をどのように授業に融合させていくかが鍵となります。授業全体でより広くUser視点を活かすためには、従来のLearnerからUserへと移行するPPP(Presentation →Practice →Production)モデルを見直すことが求められます。特に、教師自身のUser経験が授業の質を左右することを考えると、変化の時代において、教師がUserとして学び続けることが何よりも重要です。今回のセミナーが、多くの教師にとって変化への指針となり、勇気と希望を与えられることを願っております。

金森 強(文教大学)

 User/Learnerの英語学習・使用体験の量と質によって英語運用能力・英語観が大きく変わります。自身が持つ、育むべき英語力や英語観が限られていることに気づくことで、英語の指導方法や教材開発のあり方に広がりが生まれるはずです。導く側は大切な基礎能力の育成に時間や労力を注げますが、学ぶ側は、その学習・練習が必要な知識・技能であるのかどうか分からないまま取り組むことになるようです。多くの基礎的トレーニングは、学習者にとって納得のいく内容になることは少ないため、基礎練習段階で「楽しくない」「向いていない」「才能がない」と判断してしまい、あきらめてしまう場合も少なくありません。実際の使用を意識させながら基礎力の重要性に気づかせることのできる指導に変えることで、学習者の意識は変わり、個人練習や教室での友だちや先生との学びの取り組みが変わります。Userとしての意識を持たせる指導、教材こそが必要だと言えそうです。
 18年間、ARCLEを通して多くの素晴らしい先生方と一緒に外国語教育について考える機会を持てたことを大変嬉しく、また誇りに思います。色々な違う視点からのプラズマスパークがあったからこそ、より良い発信ができたと信じています。

工藤 洋路(玉川大学)

 今回のセミナーではuser/learnerの視点からの議論を行い、userになることの意義について深く学ぶことができた。ただ、改めて考えてみると、本来は、学習者が「英語は言語だから使うのが当たり前」という考えを持って教室内外で自ら進んで英語を使っていれば、一人の学習者の中にuserとlearnerが切り離せない状態で存在することになり、その結果、user/learnerという観点からの議論自体が成り立たなくなる。この状態は、教室外であまり英語を使う機会がない日本の学習環境では、あくまで理想であって、実現することは難しいという考えもあるだろう。であるなら、やはり、教室内での学習が非常に重要になり、それに伴い、教師の役割も一層大事なものになると言える。今後は、「userを育むことができる教師とは」という視点で、実践と研究を進めていきたい。

酒井 英樹(信州大学)

 Learner としても、Userとしても、児童生徒を支援する教師の役割がますます重要になってくると考えます。教室内での言語使用の機会である言語活動を増やしつつ、学びの場面を適宜つくっていくことはもちろん、児童生徒の個性を理解しつつ、外の世界の言語使用に目を向けさせたり、ガイド役になって誘ったりすることが求められるという趣旨の話をさせていただきました。そう言いつつも、セミナーでの議論を聞く中で教師としての自分を振り返ってみると、「英字新聞を読むことは、語彙を増やすことに役立つよ」のように言語使用よりも言語学習に重きを置きがちでした。一人ひとりの関心に基づき、「あの出来事に関心があるなら、海外でどのように報道されているか、英字新聞を読んでみたらどう?」と、根岸先生が話されたように、生徒の背中を押してあげたいと再認識する機会となりました。

津久井 貴之(群馬大学)

 ARCLEでの13年を振り返って
 ARCLEでの13年間で、理事の先生方からの貴重なご助言と学校現場の先生方との交流は、私自身の授業づくりを深めてくれました。私にとっては1年で最も刺激的な場がARCLEのセミナーでした。毎回、新しいテーマに挑戦し続ける中、今回のキーワード「UserとLearner」に触れ、常に「Userとしての視点」にこだわってきた自分自身の原点に改めて気づくことができました。最終回に一つの答えをいただいたような気がしています。今回の発表では、「橋渡し」(mediation)をキーワードに英語教師の役割を考えました。これからは、ARCLEで得た学びを活かして、学校現場と大学、中学校と高校の橋渡しに尽力したいと思います。最後に、ARCLEで出会った皆様に心より御礼申し上げます。そして、今後もよろしくお願いいたします。

長沼 君主(東海大学)

 最近、SELHi(Super English Language Highschool)時代のCan-Doリストを見返す機会があったが、音読や速読のCan-Doなど、現在の目的・場面・状況に応じた課題遂行を意識したCan-Do とは一線を画したものも含まれていた。当時、CEFRにならったコミュニカティブなCan-Doばかりでは、授業が成立しないとの声があったことを記憶しているが、今ではどうだろうか。CEFR/CVではテキストの仲介活動が追加され、リテリングやサマリーなど、情報を仲介する様々な技能も対象となっている。目的に応じて読みの速度を変えることは実用的な技能であるし、アナウンスなどテキストを読み上げる真正の活動もあるだろう。視点が変われば、必要性も変わり、一見して機械的に見える技能を、いかにCan-Doと結びつけるのかの視点の転換が求められているように思える。変わらないものがあるとすれば、育てたい姿を一貫して思い描き、記述することができるかであろう。理想を高く持ちつつ、現実に地に足のついたCan-Doが各地で生まれることを願っている。

根岸 雅史(東京外国語大学)

 まず、私自身の発表では、ポルトガルや韓国の中高生と較べて日本人の中高生は教室外での英語の使用経験が圧倒的に少ないことを、いくつかの調査をもとに指摘しました。次に、15歳児のプロフィールを設定し、その興味関心に従って、どんなものが英語で読めるかを考察してみました。すると、意外とたくさんのオーセンティックなテキストが読めることが分かりました。日本の生徒は教室から飛び出して、英語のUserになれるのです。
 これは、かつて田中茂範先生が提唱された「MAP(meaningful, authentic, personal)な活動」や、吉田研作先生が提唱した「Fish Bowl Model(金魚鉢モデル)からOpen Seas Model(大海モデル)へ」といった考え方とも一致します。ARCLEがこれまでに積み上げてきたレガシーを感じた最後の一日となりました。

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参加者からの声〜アンケートから〜


小学校教員:英語を使うことを意識した授業は展開していても、将来使えるようになることを意識した指導はしていなかったと思いました。ただ、小学校教諭としてやっていると、外国語に限らず、外国語をやって外国語の力だけを伸ばそうとしているかというとちょっと違う気がして、そのあたりをどう捉えるか、また考えてみたいと思いました。
中学校教員:自分が教えている生徒の将来像を思い描き、願いを持ち、英語教員として邁進していきたいということです。また、どのように教材に向き合うか、授業の中での生徒の発話や考えとどのように向き合うか、を大切にしていきたいです。
高校教員:learnerかuserかの学習経験値によって授業も変わってくるということにそうだろうと同感しました。そういう意味でもAIを使うにしても教師の役割は大切だと思いました。
民間企業:金森先生のご発表の中のListeningは受け身の活動ではない、「英語の授業は音声で始め、音声でまとめる」「聴く活動から学びを広げ、自己表現しながら言語運用能力を育成する」(音声指導の大切さ)という観点が今までなかったので、大変参考になりました。
教育行政関係:一つに絞ることは難しいですが、教室内で完結せず、外の世界にいかにつなぐか(生徒の現在、未来において)実際のコミュニケーション場面を常に考えていきたい。

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