ARCLE理事によるコラム、第2回目は、東京外国語大学・根岸雅史先生です。
教育はテクノロジーに影響を受けますが、言語教育はとりわけ大きな影響を受けてきました。そのテクノロジーには、ラジオ・テレビといったマスメディアもさることながら、レコードやカセットテープ、CDといったオーディオ媒体も含まれるでしょう。しかし、これらのツールは、音声を中心としたインプットに主にかかわるものでした。しかも、そのインプットは、トピックの種類や話者、収録方法も限られていました。
今日、こうした状況は一変しました。パソコン・インターネット・AIが言語教育に及ぼしたインパクトはこれまでのテクノロジーの比ではありません。インプットひとつとっても、いつでもどこでも、内容的にも言語の変種的にも、実に多様な言語に触れることができるようになったのです。テクノロジーの進歩がもたらした言語教育へのインパクトは、もちろん扱うデータ量の膨大化、その処理速度の高速化と無縁ではありませんが、それが人と人をつなぐツールであり、さらには大規模言語モデルによっていることと大きな関係があります。
本稿では、こうしたテクノロジーの変化が、言語テスト、とりわけ、ライティング・テストに及ぼす影響について考察したいと思います。言語テストには様々な役割がありますが、そのうちのひとつに、その言語を実際にどのくらい使えるのかを予測するという役割があります。実際にその目標言語で聞きそうなことをどのくらい理解できるのかをリスニング・テストの結果から予測するとか、実際に話したらその目標言語で話しそうなことをどのくらい話せるかをスピーキング・テストの結果から予測するといったものです。
これが書くことであれば、実際に書いたらその目標言語で書きそうなことをどのくらい書けるかをライティング・テストの結果から予測するということになります。だからこそ、言語テストでは、目標言語使用(target language use (TLU))の把握がとても重要になってきます。この点に関して、Winke & Brunfaut (2020)はBachman & Palmer (1996)を引用しながら、次のように述べています。
When developing a language assessment instrument, it is crucial to gain an in-depth understanding of the linguistic requirements that language learners or test-takers should possess in order to perform successfully in the target environment. This understanding of the target language use (TLU) lies at the heart of effective test development and the ability to generalise from the test performance to real-life contexts (Bachman & Palmer, 1996).(下線筆者)
(p. 48)
それでは、ここでいう「目標環境(target environment)」は、英語のライティングの場合、どのようなものでしょうか。コミュニケーションのために英語を書いている人たちの多くが、パソコンやタブレット、スマートフォンなどのデバイスを使って書いていることでしょう。これらのデバイスでは、スペリング・チェッカーが常駐していたり、予測変換が行われたりということもあるでしょう。また、英語で論文やレポートを書く人は、基本パソコンで書いていると思いますが、スペリング・チェッカーだけでなく、Grammarlyなどの文法チェッカーを使っている人も少なくありません。ネット上の様々な文章作成支援サイトを利用することもあるでしょう。さらに、機械翻訳を用いることもごく一般的になってきました。確かに機械翻訳はまだ完璧ではありませんが、その精度はすでに多くの言語使用者をしのぐほどです。
もしこれが今日の書くことの「目標環境」だとすれば、書くことのテストの実施環境はそれとはかけ離れたものにみえます。そもそも、多くのテストは手書きで、辞書はもちろん、スペリング・チェッカーや文法チェッカーも使えません。当然、機械翻訳も認められていません。ですから、テストにおける書くことのパフォーマンスは、現実の生活でのパフォーマンスと乖離し、かなり過小評価されたものになってしまっています。
確かに、狭い意味の英語を書く能力を受験者間で比較したい場合には、これでいいかもしれません。しかし、これは現実の言語使用場面でのパフォーマンスを反映したものではないので、このテスト結果から受験者が実際にどれだけのことができるのかはわかりません。テスト場面で、すべてのライティング支援ツールの使用を禁じた場合、いわば現実の世界ではみることのほとんどない「裸の状態」のライティング力をみていることになります。
実は、以前より、書くことの「目標環境」は、テストにおける書くことの「環境」とはかなり異なっていました。手紙やメールを書くにあたっては、英語であれば、「和英辞典」や「英和辞典」、「英英辞典」といった参照ツールはもちろんのこと、「英文手紙の書き方」や「英文メールの書き方」といったハウ・ツー本も多くの人たちが利用していたことでしょう。書くことは、言語使用にあたって、かなりの準備時間を取ることができるために、実際の生活場面では、広義でのライティング支援ツールの使用はかなり一般的でした。ですから、本当は書くことの「目標環境」をどうするかという問題は新しい問題ではないのかもしれません。
コミュニケーション能力を測る試みにおいては、オーセンティックなタスクの設定が指向されてきました。このため、狭い意味での言語能力とされてきたもの以外の能力がその遂行にかかわっていました。例えば、コミュニカティブ・テスティングでは、パンフレットを読んで値段を計算したり、図表を見ながら口頭で説明したり、というようなタスクが設定されることがありますが、「計算をする能力」や「図表を読み解く能力」自体は一般には言語能力とは考えられていません。根岸(2008)は、「拡大版言語能力観」と「縮小版言語能力観」といった考え方を提唱しましたが、コミュニカティブ・テスティングは、この「拡大版言語能力観」によった典型的な言語テストといえるでしょう。
「拡大版言語能力観」と「縮小版言語能力観」のどちらを採用するのかは、その差分を言語使用に必須のものと考えるかどうかにかかっているといえます。書くことにおけるライティング支援ツールの使用の是非に話しを戻しましょう。「拡大版言語能力観」と「縮小版言語能力観」という視点からこの問題を考えると、ライティング支援ツールの使用を認めるライティング・テストは、一種の「拡大版言語能力観」と考えられるでしょう。ポイントは、ライティング支援ツールの使用は多くの現実のライティング場面で必須になっているということです。もちろん、手書きで全て済ませている人たちもいるでしょうが、ライティング支援ツールを日常的に使っている人にとっては、手書きで何のツールも用いない状況というのは、かなり異常な状況なのかもしれません。
しかも、さらに深刻なのは、実は紙とパソコンでは、ライティング・プロセスもまったく異なるという点です。デジタル・ネイティブ世代より前の人々は、ある程度のまとまりのある文章を鉛筆やペンを使って紙に書いていましたが、そうした場合は、事前にかなり構想を練ってあまり大きな書き直しをしないように書いていました。それは書き直しという行為が大きな時間的なコストとなってしまうからです。それに対して、パソコンで文章を書くようになってからは、とりあえず(思いついたところから)書いてみて、あとで書き足したり、読み直しては書き直したりするようになりました。「目標環境」と異なる環境で書かせるということは、まったく現実とは異なるプロセスで書かせることにもなっているのです。
中高生の中には、パソコンやタブレットが使える授業中であっても、手書きを好む生徒がいますが、その理由の中には、テストのときは手で書かなければならないからというものがあります。しかし、これはテストの方が現実に追いついていないだけかもしれません。実際、パソコンやタブレットで受験するテストも増えてきています。ただ、これらのテストでも多くは、スペリング・チェッカーや予測変換、文法チェッカーを(あえて)機能しないようにしたり、インターネットへのアクセスを(あえて)遮断していたりしています。しかし、あと何年かすれば、パソコンやタブレットでテストを実施することは今よりもはるかに一般的になり、実生活の中でどんなものをどの程度書くことができるのかを知りたいと人々は思い始めるかもしれません。そうなったときに、ライティングの支援ツールをいつまで禁止していくのでしょうか。私たちは時代の曲がり角では、それまでの慣習を精査し、新しい選択をしてきました。今度は、私たちはどのような選択をするのでしょうか。
最後に、ここでの議論は、ライティング以外の技能のテストのあり方にも大きくかかわることを指摘して本稿を終えたいと思います。
参考文献
Bachman, L. F., & Palmer, A. S. (1996). Language testing in practice: Designing and developing useful language tests. Oxford University Press.
Winke, P., & Brunfaut, T. (Eds.). (2020). The Routledge handbook of second language acquisition and language testing. Routledge.
根岸雅史.(2008).「英語のプロフィシェンシーとは何だろう」鎌田修・嶋田和子・迫田久美子 (編)『プロフィシェンシーを育てる』pp. 54-69 凡人社.