ARCLE理事によるコラム、第3回は、上智大学・和泉伸一先生です。
昨今の技術革新は、我々の生活を根本から変えるほどのインパクトをもっているように感じられます。英語教育において、特に脅威となるといわれている技術革新の一つが、機械翻訳です。ついこの間までは、機械翻訳の精度はまだまだなどと言われていましたが、いつの間にかその精度は急激に向上してきており、人がちょっとチェックをすればかなり使えるレベルにまで進化してきています。瞬時に多言語に翻訳して、音声で示してくれる機械もあり、比較的安価で購入できるようになってきました。海外旅行や出張の際、AI通訳が常に旅の供となってくれるのです。そうすると、「英語なんかできなくてもどうにかなる!」と英語不要論が飛び出しても、ある意味無理がないといえるほどの技術革新です。しかし、果たしてそうなのでしょうか。
確かに、海外旅行でちょっとした買い物をしたり、道を尋ねたりする際、自動翻訳機はとても役立つものでしょう。街にあるサインやレストランのメニューでさえ、瞬時に言語変換してくれるものもあるので、わざわざ人に聞く必要もなかったりします。このような状況をみると、外国語学習に多大な時間と労力を費やすことは無意味にさえ思えてきます。それでは、海外留学の場合はどうでしょうか。留学目的地で落ち着くまでに必要な手続き程度なら、機械翻訳に頼ってもどうにかなるかもしれません。しかし、実際に現地の人々と交流する際、いちいち翻訳機械に頼ってはいられません。人は普通は直接の交流を望むものなので、やむを得ない場合を除いては、あえて間に機械を挟んで長くコミュニケーションを取りたいとは思わないでしょう。
機械翻訳機が最も活躍し得るのは、時間に余裕があり、特に1対1の交流の時となるでしょう。しかし、留学で直面するコミュニケーションでは、3人以上がかかわった即興の交流も多くあります。そういったコミュニケーションでは、機械を挟まずとも、話すタイミングを捉えるのが思った以上に難しいものです。何か言いたくても、言い出すタイミングがうまく捉えられなかったり、言おうとしている間に話がどんどん先に進んでしまったりします。あるいは、話のテンポが早すぎて、理解さえおぼつかないことも少なくありません。最初こそ話に入れてもらっていても、時間と共に会話に取り残されてしまい、いつの間にか、全く蚊帳の外に置かれたような形で会話が進んでいってしまったりもします。機械翻訳機に頼った場合は、問題はより一層深刻となるでしょう。
もちろん、すべての人が海外留学を目指すわけではありません。しかし、ここで海外留学を例にして示していることは、外国語、とりわけ英語を学ぶ本来の目的について示唆していることでもあります。英語を学び、使って、日本語を越えた別の世界を知り、様々な人種やバックグラウンドの人々と交流し、互いの理解を深めて、共に協力していくことを追求するのが、外国語学習の究極の目的でしょう。その過程で、異文化に対しての理解を深め、同時に自国の文化や自分の価値観を客観視する貴重な機会を得ることができます。そういった学習過程を経て得られる自己の成長と能力はかけがえのないものであり、いくらAIが進化しようと変えることのできない、真に人間的な側面であるといえるでしょう。
そこでAI時代にふさわしい英語教育の姿とは、どういったものとなるのでしょうか。その姿を模索する上で、これまでの英語教育の姿を今一度振り返る必要があるでしょう。そもそも、機械翻訳が発達してきたから英語学習は不必要だと考える発想自体、これまでの英語教育の問題を端的に表しているものといえるでしょう。知識の獲得だけをやみくもに追求してきた英語教育・学習は、AI/機械翻訳に取って代わられても無理がないことです。それはAIが一番得意とするところであり、知識量・情報量でAIと勝負しても、人間は圧倒的に不利になるだけです。AI時代では、調べれば大抵のことはすぐにわかります。そこで本当に重要になってくるのは、知っていることを、またわかったことを、どう生かすことができるのか、どう役立てられるのかを考えられる人間性に根ざした知恵です。
英文の読解をするのならば、読んでわかったというだけなら、翻訳機にかけて日本語で理解した方が手っ取り早いと考えても無理はありません。そのため、理解するだけでなく、そこから一体何を学び、何を感じ、どう考え、そして何を伝えていくのかを発想することが重要になってきます。伝える際には、どうしたら相手のニーズに応えた形で的確に伝えることができるのか。必ずしも自分とは同じではない文化背景や価値観をもった人たちに、どうしたら自分の言わんとすることが伝えられるのか。どうやったら人と人を結ぶコミュニケーションができるのか。こういったことを考えられるような授業展開やタスクを設定していくことが、今後ますます重要になってくるでしょう。これまでの知識伝授型の英語教育から、知識を活用していく、英語を通した人間教育へと変えていくことが、従来にも増して必要になってくるでしょう。
このように考えてみると、科学技術の進歩は、必ずしも英語教育にとって悪いことではありません。それはまさに「ゲームチェンジャー」(従来の常識や考え方に根本的な変化をもたらすもの)となっていくものと捉えるべきでしょう。AIや機械翻訳が飛躍的に向上した時代だからこそ、逆にますます英語学習の本来の価値が輝いていくべきです。その価値を創造していけるかどうかは、英語教育に携わるすべての人々の責任といっていいでしょう。
以上の内容を踏まえて、ここで簡単に関連する研究課題を提案してみたいと思います。まず何よりも必要なのは、現状把握のための研究でしょう。AI/機械翻訳の進化に鑑みて、現代の中高生および大学生が英語学習(あるいは他言語の学習)に対してどのように感じているのか。もはや英語学習は必要ない、あるいは意義が薄れてしまったと本当に感じているのか。それとも、新たな意義や目的を感じ取っているのか。憶測だけでは計り知れない生徒・学生の実態を知ることが重要でしょう。また、彼らが現時点でAI/機械翻訳をどの程度、どのように活用しているのかといったことも、AI/機械翻訳との共存の姿を模索する上で、重要な研究課題となるでしょう。
ただ、実態を知るだけでは、その先にはつながりません。多くの場合、学習者の現在の英語観・英語学習観は、彼らを取り巻く環境と密接に関係しているものです。とりわけ、彼らがこれまで受けてきた、また現在受けている英語授業からの影響は少なくありません。そこで、彼らの英語学習と英語使用経験について調べ、それと併せて彼らの英語学習への意見と態度との関係を明らかにしていくことが有益だと思われます。
より発展的な研究としては、もしCLIL(Content and Language Integrated Learning:内容言語統合型学習)のような内容教育と英語教育を密接に絡めた授業を継続的に行ったならば、それが生徒・学生の英語観・英語学習観にどういった影響を及ぼすのか。とりわけ、CLILでは4つのCとしてContent(内容)とCommunication(言語知識・技能)のみならず、Cognition(思考)とCommunity/Culture(協学・文化)を主軸に授業を構成します。これらのCは人間的な営みの根本ともなる部分であり、思考を刺激して、互いの協力と理解を深める授業実践となる重要な側面です。現代のAI時代に生きる生徒・学生たちにとって、このような21世紀型の教育方法が一体どういった効果をもたらすのか、今後の実証研究でぜひ探っていきたい問題です。