ARCLE理事によるコラム、第6回は、上智大学・和泉伸一先生です。
学校や塾、または英会話学校などで教わる生徒は、英語学習者なので、「Learner」と呼ぶことができるでしょう。しかし、Learnerは学ぶ人であって「User」ではないと言い切ることはできるのでしょうか。従来の言語学習観では、まず単語や文法を学び、それらを身につけた後に初めて使うことができる、という学習順序が暗黙の了解として存在していました。その観点からすると、「基礎的な英語力がまだ定着していないのに、実際に使用するのは時期尚早だ」と考えられがちです。
このような考え方は英語に限らず、他の分野でも見られます。たとえばスポーツの部活動では、1年生のうちは試合に出ることが許されず、基礎的なトレーニングや球拾いなどに従事し、2年生になって初めて本格的な練習や試合に参加することが許される場合があります。楽器の練習、書道、武道などでも、同様の流れが見られます。まずは地道な学習や練習を通して「基礎」を固め、その後、Userとして「実践」や「応用」に移るという考え方です。
しかし、このように「学習」から「使用」へという固定化された考え方には、実際に多くの無理が伴います。まず、何事でも少しでも実践的に使った経験がないまま、自主的かつ真剣に練習したり学んだりすることは難しいでしょう。たとえば、野球の試合経験がまったくない状態で、ただバットの素振りや走り込みばかりさせられても、やる気が上がることはありません。それどころか、いつの間にか素振りや走り込みをする理由や目的を見失ってしまうでしょう。英語学習においても、実際の使用経験(失敗や困った経験を含む)がないまま、単語や文法ばかりを学習していては、英語を好きになるのは難しいでしょう(言語分析が大好きな少数の言語学者タイプの生徒は例外かもしれません)。潜在的に「上手くなりたい」という気持ちがあったとしても、そのやる気が引き出されないまま終わってしまう可能性があります(実際、全国各地で非常に多く見られる現象です)。
また、使用経験が欠けていると、勉強や練習の際に何に注意すべきか、学習の焦点が定まりにくくなります。野球で良い練習をするためには、一つ一つの動きに細かく注意を払い、投げられてくるボールに対してどのように身体を使ってバットを振るかを考え、感じながら練習することが重要です。英語学習においても、音読の際、ただテキストを繰り返し声に出して読むだけでは効果は薄いでしょう。たとえ段階的であっても、個々の単語の発音や単語間のつながり、文の抑揚やポーズの取り方、文構造、意味、伝達相手、場面や状況を考慮し、「伝えるために読む」ことが大切です。どの場合においても、学習者としての視点に加え、使用者としての視点を持つことで、勉強や練習の質に大きな差が生まれるのです。
学ぶことを優先しすぎて実際に使うことを後回しにすることには、別の弊害もあります。いざ使おうとするときに、尻込みしてしまうのです。学びの期間が長くなるほど、知識は増えていきますが、その副作用として頭でっかちになり、自分の思い通りにできないことに対して失望感を抱くようになります。変な完璧主義にとらわれ、積極的に使おうとする気持ちがなえてしまうのです。だからこそ、実際に使う経験を後回しにせず、できるだけ早い段階から取り入れることが重要です。
朗報は、21世紀も4半世紀が過ぎようとしている今、「学んでから使う」という固定的な考え方が少しずつ変化しつつあることです。スポーツでは、部活動の見直しや、体育連盟などの指導方針の改革に伴い、新入生でも適性や能力に応じて、早い段階から実践的な練習や試合に参加できる学校やチームが増えています。英語教育においても、文部科学省主導の学習指導要領の改訂や、英語教科書の改善、教員養成カリキュラムの変革により、Userの視点を取り入れた教え方が広まりつつあります。
特に、タスク中心型言語教育(Task-Based Language Teaching: TBLT)や内容言語統合型学習(Content and Language Integrated Learning: CLIL)といった教授法では、LearnerとUserを明確に区別していません。学習者は即使用者であり、『学んでは使い、使っては学ぶ』(“Learn as you use, use as you learn.” Mehisto, et al., 2008, p.11)というサイクルを繰り返すことで、学習の意義を見出し、自主性を高め、学びを活性化させ、学習効果を向上させることを目指しています。ここでは、LearnerとUserを区分けすることや、その順序づけが重要視されるのではなく、学んだらすぐに使い、使うことで学びを深めるというように、両者の役割が自然に入り混じった形で授業が展開されていきます。
では、実際にどのようにしてUserの視点を英語の授業に取り入れることができるのか。生徒に常に話させたり書かせたりしなければならないとプレッシャーを感じる必要はありません。「聞く・読む」も重要なコミュニケーションの「使う」技能の一部であるため、特に初級者にとって、聞くことが多くなるのはごく一般的であり、非常に効果的な学習方法でもあります。たとえば、Oral introductionの際に、教師が英語で生徒に話しかけることは、生徒を対等なコミュニケーターとして扱うことにつながります。そこで交わされるやり取りは、授業の「前置き」や「雑談」などではなく、授業の重要な一部を成すものです。その時間が、生徒と教師双方にとって最も生き生きとした時間になるかもしれません。
教科書を使って授業を進める際にも、Userの視点は重要です。単語や文法の解説や練習だけでなく、本文の内容に関して生徒に賛否や意見を尋ねることで、自然とUserの視点が取り入れられます。自分はLearnerでしかないと考えると、どうしても受け身の姿勢になりがちですが、意見を求められたり、判断を迫られたり、意見交換の機会があると、英語Userとして積極的な姿勢が育まれやすくなります。
言葉が伝える内容を重視することは、Userの視点を持つことと実質的に同じ意味を持つと考えてよいでしょう。言葉そのものに焦点を当て続けていると、いつまでも未完成なLearnerのままでいるかもしれません。しかし、言葉が伝えるメッセージに焦点を当てた瞬間、単なる「学習者」ではなく、自ら考え、参加する主体者としての「User」になれるのです。
こうしたUser視点を英語の授業に効果的に取り入れるためには、まず教師自身がLearnerやTeacherの枠を超え、英語Userとしての生活を充実させることが重要です。筆者が以前行った研究によると、教師の英語使用経験が豊富であればあるほど「体験的な教育アプローチ」(Experiential teaching approach)を用いる傾向があり、逆に使用経験が少ない教師ほど、形式指導に特化した「分析的な教育アプローチ」(Analytic teaching approach)を用いる傾向が確認されました(Izumi, et al., 2016)。つまり、User視点を取り入れた英語の授業を実践するためには、教師自身がUserとしての自分を自覚し、英語を使う楽しさを感じることが大切だと言えるでしょう。
とはいえ、「Userにならなければ」と構えすぎて難しく考える必要はありません。授業準備の際に、単に新出単語や文法に注目するのではなく、英語で表現されている内容について自分はどう思うのか、どう感じるのかといった視点で取り組むだけで十分です。そこから、題材に関する調査が始まり、情報を得るためにオーセンティックな英語素材を探す過程が、すでに教師が英語Userとして活動している姿となります。また、教室で生徒に英語で話しかけること自体が、教師自身がUserとなる瞬間です。
ぜひ、教師も生徒と共に、English LearnerとEnglish Userの行き来を楽しんでいただければと思います。
参考文献
Izumi, S, Miura, D., & Machida, S. (2016). Beliefs, learning strategies, teaching practices, and confidence of EFL teachers in Japan. Sophia Linguistica, 63, 117-147.
Mehisto, P. Marsh, D. and Frigols, M.J. (Eds). (2008). Uncovering CLIL. Content and language integrated learning in bilingual and multicultural education, Macmillan.