ARCLE理事によるコラム、第7回は、信州大学・酒井英樹先生です。
『チーズはどこへ消えた?』という本をご存じでしょうか。20年以上前のベストセラーです。当たり前だと思っていたことに変化が起こったとき、機敏に察知し、勇気をもって新たな状況に飛び込んでいくことの重要性を学んだ書籍でした。目まぐるしく変化する英語教育の状況をみると、改めてこの教訓の重要性を感じます。例えば、学習指導要領が改訂されて、「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」の3つの柱から成る資質・能力を育成することとなりましたが、従来の知識重視の学力観に沿った指導では立ち行かなくなっています。また、一人一台端末の活用が進み、ICT、デジタル教科書、生成AIの活用なども導入されています。また、学び方については、「主体的・対話的で深い学び」だけでなく、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」が求められるようになっています。このような中で、本コラムでは、英語教育に携わる英語教師が、児童・生徒を信じる勇気を持って変わる覚悟をもてば、児童・生徒の素敵な姿と出会えることについて、私自身の英語授業の実践からお伝えしたいと思います。
私は教員養成学部の英語科指導法に関する科目と教職大学院の授業を担当していますが、2〜3年に一度、一般教養の英語を担当する機会があります。数年前担当したクラスは初級レベルで、クラスのTOEIC IPの平均点は306.80点(標準偏差50.29点、最低205、最高365)でした。そのクラスでトライしようと思った実践は学生が教材を自由に選ぶ英語授業の実践でした。「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が求められていますが、英語教育において「個別最適な学び」はどのように実現できるのだろうかと思ったことがきっかけでした。従来の指導法とは異なり、教材を指定せずに、自分で選んだ動画や文章を自分のペースで学んでもらうことは、私にとってかなり覚悟のいることでしたが、やってみなくては分からないこともあると思い、挑戦してみました。
このクラスの4月当初の授業でアンケートを実施したところ、「英語が好きか」(6件法)という質問項目の平均値は2.39(標準偏差1.34)であり、「英語が得意ですか」(6件法)という質問項目の平均値は1.39(標準偏差0.43)でした。つまり、英語があまり好きではなく、苦手意識を持つ学生の多いクラスと言えます。ところが、「英語ができたらどんなことをしてみたいですか」という質問に対して、次のような回答が出てきて私自身驚きました。
「海外に行き、会話をしたい」 11名
海外に行きたい。/海外旅行に行ってみたい。/海外に行き、会話をしたい。/海外旅行に行きたい。他の通訳の人の力を借りずに旅をしてみたいです。/海外に行って普通に英語で会話してみたい。/外国に旅行に行きたい。/外国に行って自分が行きたいところを自由に旅行したい。/海外旅行や、留学をしてみたい。/海外に長期旅行したい。/海外旅行。/海外旅行をガイドなしで巡りたい。
「外国の人とちゃんと話したい」 6名
海外の人と議論をしてみたい。/外国の人の会話に聞き耳を立てたいです。/外国人とちゃんと会話してみたい。/いろんな外国人の方と話してみたい。/日常生活で友人などと英語を使って自分の興味関心のある分野について議論などをしてみたい。/様々な人とコミュニケーションを取ることで、文化の違いや考え方の違いを実感したい。
「映画を鑑賞したり、洋楽を聞いたりしたい」 5名
翻訳・字幕なしで海外映画を鑑賞すること。/ハリーポッターや、ワイスピなどの洋画を字幕や吹替なしで見たい!/洋楽の歌詞を理解して聞いてみたい。/映画を見る。/海外のスターのインタビューを聞いたり、洋画を吹き替えなしで見てみたい。
「英語の論文を読んでみたい」 1名
英語の論文を読んでみたい。
「外国の人と友だちになりたい」(この2つの回答のみ、他の回答と重複)
外国の人と友達になりたい。/外国の友達をつくってみたい。
一見すると英語が嫌いで苦手な学生たちのように見えますが、英語ができたらこんなことをしてみたいという願いを持っていることを改めて認識しました。
授業は前期(4〜7月)に行いました。自分が選んできた英語の動画などを視聴する課題(前期の前半)と、自分が選んできた英語の文章(記事、解説など)を読む課題(前期の後半)に取り組ませました。聞き方や読み方の指導をした後、外部試験の例題を活用してどう学ぶのかを例示しました。その後で、各自で聞く活動や読む活動に取り組む時間を設定しました。困ったときには、私を呼ぶように指示しました。振り返りとして、今日取り組んだことと、今日学んだ語句や表現を報告してもらいました。
例えば、サッカーの好きな学生は、日本の有名サッカー選手の英語のインタビュー動画を視聴していました。英語については私が支援しましたが、サッカーについては学生の方がよく知っているため、一方的な指導というよりは、私もサッカーについて教えてもらいながら聞き取りの指導をしていきました。
リーディングの時期には、私の指導の出番はほぼなく(機械翻訳やインターネットを活用して解決しているようでした)、何を読んでいるのかやどのような語句や表現を学んだかを学生と英語でやり取りするぐらいでした。熱心に取り組んでいる様子が見られました。
学期末(7月)の最終授業時のアンケートでは、「英語が好きですか」の平均値は3.09(標準偏差1.81)に上がり、統計的に有意な向上がありました(t(22) = -4.058, p = .0005)。「英語が得意ですか」の平均値は1.70(0.49)となり、依然として低いものの、4月よりは統計的に有意に上がっていました(t(22) = -2.077, p = .0049)。7月に受験したTOEIC IP に関して、「伸びた」学生は15人で、「変わらなかった」学生が7人、「伸びなかった」学生が1人でした。情意面だけでなく英語力にも成果が見られたと言えます。なお、伸びなかった学生は、受験当日体調が悪く、集中できずに得点が低くなってしまったとのことでした。
「好きな話題を聞く活動はどうでしたか」という質問に対して次のような回答がありました。これらの回答から、自分で選んで英語を聞く活動は、聞きやすく、聞くのが苦ではなく、必死に聞こうとし、意欲を持って取り組めた活動であったと受け止められたことが分かりました。もちろん、否定的なコメントもありました。学習者にとって適切な英語に出合わせる工夫は教師の重要な役割の一つであると感じました。また、「英語で好きなものを聞くことは普通に生活してたらまずないので新鮮だった」という回答には、はっとさせられました。今までの英語教育の中で、自分の関心のある英語を聞く機会がなかったというのは、私の責任ではないですが、何だか申し訳ない気持ちになりました。
否定的なコメント 2名
あまり積極的に行えなかった。/意味のわからない単語が多くて内容を楽しめなかった。
肯定的なコメント
「好きな話題なので前向きに取り組めた」 10名
好きな話題なので興味を持って取り組めた。/自分の好きなトピックを選んだので、飽きずに最後まで聞けたので良かった。/自分の興味のある話を聞いていたので聞きやすかったし英語も覚えやすかった。/自分の好きな話題のため、集中して取り組めた。関心のあるものは聞き取りやすかったように感じる。/自分の興味のあることであるため聞き取りやすかった。/好きなことだから英語でも聞くのが苦ではなかった。/好きなことなので何とか理解しようと必死になりそれにつられて調べる活動も活発になった。/自分の興味あることなので、聞いていておもしろかった。/興味のある内容のため意欲を持って取り組めた。
「英語で好きなものを聞くことは新鮮だった」 1名
英語で好きなものを聞くことは普通に生活してたらまずないので新鮮だった。
「事前知識のある話題なので取り組めた」 2名
事前知識のある中で聞いたので聞きやすかった。/知っている単語だけでもわかるものがあり、理解することができた。
その他 5名
いつも更新されている動画を見たくても「英語だから…」と避けていた動画をじっくりと分解しながら読み取れたのでこの機会があってよかったと思った。何回も繰り返し聞くことで耳も慣れたと実感した。/語彙力も増えて面白かった。/楽しかった。(2名)/自分の知らないことも知れて良かった。
自分の関心のある話題について聞いたり読んだりすることは、「学び」の側面もありつつ、「使う」という側面も大きくなっていると考えられます。Learnerとしてだけでなく、Userとして英語に触れる機会を増やすという意味でも、学生が教材を選ぶ方法は可能性があると感じました。
一つの事例に過ぎませんが、学習者もそれぞれの思いや関心を持ち、自分で学ぼうとする力を持っていることを示唆しています。教師はそのような学習者の思いや力を信じる勇気を持つことが大切だと思います。また、当たり前であることを手放して、新たな一歩を踏み出すことは大変なエネルギーが必要でしたが、変わる覚悟を持ち、挑戦することで、学習者の新たな一面に出会え、今ではよかったなと思っています。
子どもを信じる勇気と、自分の当たり前を問い直し、変わる覚悟を持って、英語の指導に取り組んでみませんか。素敵な子どもたちの姿に出会うために。
参考文献
スペンサー・ジョンソン(著)・門田美鈴(翻訳) (2000). 『チーズはどこへ消えた?』扶桑社