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第5回研究会レポート
詳細:「上智大学・ARCLE応用言語学シンポジウム2008−小学校英語必修化へのメッセージ」



第2部 基調講演
「東アジアの実践から考えるこれからの小学校英語教育」
ペンシルバニア大学 バトラー後藤裕子


非常に例外的な日本の小学校英語活動

現在の日本の小学校英語活動は、ヨーロッパやアジア諸国などで行われている児童外国語教育の全体的な傾向と比較してみると、「非常に例外的」であると言うことができます。他の国と単純に比較すること自体がすでに難しいほど、状況が特異です。他の国に比べ、目的と動機づけが明確でないために、プログラムの位置づけが難しいのです。

例えば文部科学省のサイトで小学校の外国語活動に関するページを見てみますと、「Foreign language activities to cultivate children's communicative ability」という英語が出てきます。つまり、子どもたちに何か「Communicative ability」と呼ばれるものを身につけさせたいのだな、と解釈できます。しかし、このコミュニケーション能力とは何なのでしょうか。母語も発達途上にある子どもたちの、外国語のコミュニケーション能力とは一体どういうものを指すのでしょうか。

この英語のタイトルの後には日本語での説明が続きます。それを見ますと、「外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら、コミュニケーション能力の素地を養う。」とあります。かなり抽象的な表現が多くて、具体的に何をどこまで目標にするべきなのかがはっきりしません。そもそも、「なぜ」英語をやるのか、その動機がここからは読み取れません。

さまざまな国の小学校で行われている外国語活動・教育は、大きく2つに分けることができます。1つがFLEX、つまりForeign Language Exploratory/Experienceの略で、もう1つがFLES、Foreign Language in Elementary Schoolです。

FLEXは外国語体験を目的としたプログラムです。実際、FLEXで成功している事例を見てみると、非常に目的がはっきりしていることと、1つの言語に特化するものではなくさまざまな文化・言語を扱っているものが多いという特徴があります。例えば、アメリカのあるFLEXプログラムでは、中学に入ったときにどの外国語を選択するのかを決めるために、スペイン語、フランス語など、さまざまな言語と文化の紹介をします。フランスのあるFLEXプログラムでは、地域に急速に増えてきた移民との理解を深めるため、彼らの言語や文化についての基礎知識を深める学習を行っています。ところが、日本の場合、文部科学省の説明に「体験」という言葉が入っているのでFLEXなのかなと思えますが、何のために何を体験するのかが不明確です。

一方のFLESというのは、教科としての外国語教育になります。他のアジア諸国はだいたいこのパターンをとっています。しっかりとしたカリキュラムや教科書が用意され、評価も入ってきます。そして教員研修が整備されているということが特徴です。しかし、日本がこれからやろうとしていることは、教科としての英語教育ではないことになっていますので、FLESにもあてはまりません。

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韓国の小学校英語教育の現状

今お話ししたことを前提として、他のアジア諸国の状況はどうなっているのかを具体的に見ていきたいと思います。

例えばお隣の韓国では、小学校の英語教育で、どのような目的を掲げているのでしょうか。第一の目的は「将来の生活の質を保証するため」です。英語ができないと、これからのグローバル社会の中で、質の高い生活は送れないという強烈な危機意識があるのです。個人的には私は、日本でも「外国語ができなくても特に日常生活に困らない」というような状況は、次世代にはもう保障されていないのではないかと思っています。2番目の目的が「柔軟で創造的な思考を養う」です。外国語に触れ、異なった思考のあり方に触れることで、偏ったナショナリズム的な思考を持たないようにするということです。これは、考えさせられる点です。外国では、日本人はあまり積極的に外国語教育に取り組んでいないという印象が一部にはあります。そして、そうした状況は、ひとつ間違えれば日本人の強いナショナリズムの裏返しだと、解釈されてしまう危険性があるということです。3番目の目的が「違いに対して柔軟になり、他者を受け入れることにより、世界の平和と人類の繁栄に貢献するため」です。そして最後に出てくるのが「使える言語能力を習得する」ということです。

これだけを見ても、日本とは英語に対する意識が、かなり違うということがおわかりいただけると思います。実際に韓国の英語熱は大変なものです。それがよいかどうかは別問題ですが、とにかく圧倒されます。例えば、子どもをバイリンガルに育てるために、母親が子どもにどのように英語で話しかけるべきかを紹介した本が飛ぶように売れています。また、ここ10年ぐらいの間に急増しているのが、子どもの長期海外留学です。母と子で何年も行くという形の留学です。その間、父親は韓国に残ってせっせと仕送りをします。子どもだけで行かせるケースや、中学から寄宿舎に入れるという形も増えています。父子のコミュニケーション問題など、さまざまな家庭問題に発展するケースもあります。

なぜこれほどまでして留学をさせるかというと、一番の理由は「就職のため」です。韓国の、特に大手企業では、業務で英語を必要としない職種であっても就職試験に英語が入っています。それから「韓国の教育制度から抜け出すため」という理由もあります。韓国の教育システムは競争が非常に厳しく、塾などの教育費もものすごくかかっています。ですから、留学させても金銭的負担は大して変わらないという人もいます。長期留学は、以前は一部のお金持ちの間だけの現象でしたが、最近は普通の中流家庭にも広がってきています。

この長期留学は韓国だけの現象かと思っていたのですが、他の国にも飛び火していて、台湾も同じような傾向にありますし、モンゴルでも一部にそういう家族が出てきていると聞きました。ただ、今回の金融危機で、送金ができなくなってしまう父親も出てくることでしょう。

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東アジア諸国共通の課題とは

韓国や中国、台湾など東アジア諸国の事情を見てみますと、共通の課題がいくつかあることがわかります。

まずは、「開始年齢」と「時間数」の問題です。何年生から週何時間英語をやるのが望ましいのかという言語政策上の問題です。例えば、韓国の公立小学校では今、3年生から英語を教えています。時間数は、3・4年生が週1時間、5・6年生が週2時間となっています。しかし、1年生から導入するべきか、それとも、時間数を増やすかという議論がありました。実証的な研究も進められていたようですが、結局、開始年齢は3年生のまま、授業数を1時間ずつ増やすという決定をしたようです。これは、大変興味のある決定です。

次に、「体系的なカリキュラム」をどのように構築するかという問題があります。特に、読み書きをいつの段階からどのような形で導入するかが、各国とも大きな課題となっています。言語政策的には、韓国も台湾も、文字教育の導入時期がどんどん低年齢化しています。

ALTの問題もあります。アジアでは、どの国も急速に外国人教師または外国人アシスタントの数を増そうとしています。しかし、外国語指導者としての資質を備えた熱心なネイティブで、アジアに行って英語を教えたいと思っている人の数は限られています。その限られた人たちを、各国で奪いあうわけですから、優秀な人材を確保するのが、これからますます困難になることが予想されます。韓国は、最初からALTがいなくても授業ができるように、教師研修をしっかりとやり、DVDなどの教材を整備して英語教育をスタートしたので、ALTなしでできる先生が大勢育ってきています。しかし、日本の場合、ALTに頼りきっている学校も少なくないようです。これは、今後、変えていかざるを得ない問題でしょう。

次に「教員研修」の問題です。これが、私の見る限り、一番大切な問題だと言えます。私はここ数年、韓国で研修を行う機会が何回もありましたが、先生たちの英語力が、確実に向上してきていることを実感しています。すでに1,000時間の研修を受けた先生が大勢いて、留学させてもらっている人も少なくありません。最近発表された英語教育改革計画では、今後5年の間に、小中高の現職の先生に、毎年3,000人ずつ、研修を行うそうです。その予算ですが、2008年の10月にある韓国の先生から伺ったところでは、そのときの為替レートで、4.8億ドル、ざっと480億円です。さらに、留学経験者など、すでに英語力の十分ある人を新規の教員として2万3,000人採用する予定で、その費用は17億ドル。日本の予算と比べると、ケタはずれで、教員の養成と確保にかける国家の意気込みはかなりなものがあります。

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「研修」に対するサポートが重要

最後に、こうしたアジア諸国の状況を見ながら、では日本はこれからどうしたらいいのかを考えてみます。まず「英語を教えずに英語でコミュニケーションを行う」という言語政策は、日本のような「外国語としての英語」環境では無理です。日常的に英語が自然にどんどん入ってくるわけではありませんから、計画的な指導が不可欠です。現実には、「英語は教える」という方向で取り組んでいかざるを得ないと思います。

それからインプットをもっと重視する必要があると思います。今の日本での英語活動の多くは、アウトプットを急ぎすぎているのではないかという印象が、私にはあります。十分に英語を聞く機会がないうちに、アウトプットを急がせても、定着しません。

そして、もっとも重要なのが、教員への研修です。中学校の先生やネイティブの先生との合同研修が、計画的に実施されると理想的です。ただ、これはどの国でもまだなかなか進んでいません。また、研修というのは、トップダウンではなく、ボトムアップの部分を尊重して計画されるべきで、教師が今どういうことを研修してほしいと願っているのか、それをすくいあげていくような研修プログラムを確立する必要があります。さらに、時間の確保が大切です。授業を普通にやりながら、事務処理も保護者対応もして、ALTとのミーティングにも出て、さらに研修プログラムにも参加しなさいというのは、物理的に無理な要求です。やはり研修に出なさいというのなら、お金だけではなく時間的なサポートも必要なのであって、そこが重要な鍵だと思います。台湾の一部の地域では、現場と行政の橋渡しをして、現場の声を研修計画に組み入れていく役割を担っている先生がいますが、このような先生には、授業が免除されています。研修計画を立てるにしても、参加するにしても、時間の確保は不可欠です。

そして、「教育は長期戦」であるということを忘れてはいけないと思います。例えば、韓国ではすでに10年やっていますので、日本の今を韓国の今と単純に比較しても意味がありません。長い目で見ていかなければならないと思います。

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「いつも全部わかること」を目標にしない

最後に付け加えたいのが、「いつも全部わかることを目標にしない」ということです。日本の小学校の授業では、よく先生が最後に「今日の授業はわかりましたか」という質問をなさいます。そして「9割の子どもがわかった」「9割がやさしいと言った」というような報告がなされます。でも私は、外国語学習は、いつもみんながわかることだけを導入し、100%わかったかどうかを確認するというアプローチをとらなくてもいいと思うのです。

算数のような積み上げ学習型の教科では、九九がわからなければ、割り算はできませんから、ひとつひとつ着実に理解し、積み上げていかなくてはいけません。しかし、言語活動は、母語であっても、子どもたちは常に100%理解して行っているわけではありません。ましてや外国語ですから、外国語でコミュニケーションを行うとき、常に100%わかるということはあり得ない。わからないところがあるほうが、むしろ普通なわけです。ですから、「わからないけれども、この人はこういうことを言っているんだろうな」と推測する能力を身につけさせる、あるいは「もう一度言ってくれますか」と尋ねるなど、さまざまなストラテジーを身につける、わからなくても物おじしないタフな態度を身につけるといったことを念頭においた指導を行うことが、大切なのではないかと思います。

バトラー後藤裕子先生からのコメント

国によって、社会、文化、教育制度上の違いがありますから、他の国の事例をそのまま日本にあてはめることはできません。しかし、他国の政策や教育実践には、これからの日本の小学校英語を考えていく上で、示唆に富んだ情報がたくさん詰まっています。こうした情報を今後いかに有効に利用していくかが、大切なことだと思います。そして、これからは、日本からも海外に有益な情報を発信していけるようになることが望ましいと思います。

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