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第4回研究会レポート
詳細:「ARCLEシンポジウム2009−新学習指導要領を踏まえた高校英語の指導を考える」



第1部 シンポジウム1
「高校英語 教える側と学ぶ側の実態と課題」
コーディネーター 根岸雅史(東京外国語大学)
パネリスト 渡部良典(上智大学)
長沼君主(東京外国語大学)
調査報告 Benesse教育研究開発センター

(敬称略)


シンポジウム1では、ベネッセ教育研究開発センターより、データからみられる高校生の実態と課題について紹介をいたしました。続いて、長沼先生からは主に日本と韓国の比較という視点からの日本の高校生の英語学習について、渡部先生からはテストと指導の在り方についてご発表がありました。その後のディスカッションの一部も併せてご紹介します。



根岸 シンポジウム1のテーマは「高校英語 教える側と学ぶ側の実態と課題」ということで、Benesse教育研究開発センターと長沼先生からは「学ぶ側」、渡部先生からは「教える側」の視点で発表していただきます。個人的には高校の英語教育が担っている部分というのは、日本の英語教育全体において非常に大きく、ここがうまくいかないと、おそらく日本の英語教育全体としてうまくいかないのではと思います。今日はこの点を踏まえて、いろいろな観点で議論していきます。

学ぶ側の実態と課題
Benesse教育研究開発センター 吉池陽子

弊社及び文部科学省発表の様々なデータから「学ぶ側」、つまり現在の高校生についての課題をまとめてみますと、大きくは次の4点が挙げられます。まず1点目は、学習意欲および学習時間の低下と二極化です(発表資料(1)5P参照)。特に中・下位層の生徒の学習意欲・学習時間をいかに引き上げていくかが挙げられます。2点目は、大学入試が学習モチベーションとしてあまり機能していないという実態です(発表資料(1)7P参照)。どのような英語学習のモチベーションが有効かを考える必要があると思われます。3点目は、生徒は実践的な英語の必要性を感じつつも、実際の教師の指導内容や方法自体は大きく変わっていないことです(発表資料(1)9P参照)。一方で、現行課程が目指す指導を忠実に実現したSELHi(Super English Language High school)のような学校では、英語力の伸びがみられました(発表資料(1)10P参照)。そして最後の4点目は、中学校までに既に約6割の生徒が英語につまづきを感じている実態があり、高校側としては入学後にどのような対応をすべきか、ということが課題として挙げられると考えます(発表資料(1)14P参照)。

更に2013年に新課程が施行される高校1年生について考えてみましょう。まず、小学校段階で約6割の生徒が週1時間の外国語活動を経験しているということ、中学校では3年生で新課程の英語教育・高校入試を経験していることが挙げられます。このような制度の変化を経験した2013年度高校1年生に対して、高校入学時点でどのような対応が必要か、ということを考える必要があると思います。

※当日の発表資料は「学ぶ側の実態と課題(PDF/2.6MB)」からご覧ください(発表資料 1)。

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東アジア調査からみる高校英語の学ぶ側の課題
東京外国語大学 長沼君主

(株)ベネッセコーポレーションとの共同研究で、吉田研作先生を中心に2003年度、2004年度に日韓中の3カ国の比較調査、2006年度には日韓の比較調査を行いました。今回はその中で主に韓国の高校生との比較を通して、「学ぶ側」つまり日本の高校生の実態と課題をみていきます。

※当日の発表資料は「東アジア調査から見る高校英語の学ぶ側の実態と課題(PDF/670KB)」 からご覧ください(発表資料 2)。

日常的に英語に積極的に触れている韓国の高校生

まず、英語をふだんどれぐらい使っているかについては、日韓でかなり差がみられました。「英語で書かれた説明書を読む」など、いろいろな活動が挙げられていますが、日本は軒並み3割に達しないというかなり低い状態です(発表資料(2)9〜10P参照)。それに対して韓国はどこまで日常的に行っているかどうかはともかく、多くの項目で6、7割、低くても5割ぐらいの子が日常的に英語を使う活動を行ったことがある、と答えています。日本だと多いのは「歌詞を見ながら英語の歌を聴く」、「自分の好きな英語の歌を歌う」くらいですが、韓国では「英語で書かれた説明書を読む」や、「英語で書かれたインターネットのホームページやブログなどを読む」なども加わります。「英語で電子メールを書く」も高い結果です。では日本ではこういう経験をしにくいのかというと、そうともいえず、ラジオやインターネットなどは求めれば比較的簡単に触れられるものであり、英語と接する態度の違いともとらえられます。

日本のSELHiは能力、自信ともに高い

次にCan-Do(自分でできると思っているかどうか)について、教室内、教室外の項目で調査しました。教室内活動では「オーラル活動」「テキスト活動」「ライティング活動」の3つの観点から比較し、日韓中に加えて日本のSELHiのデータを加えました(発表資料(2)11P参照)。結果をみると、SELHi以外の日本の学校では、他の国より自信の度合いが低めのものが多かったのですが、SELHiでは中韓と比較しても、特にオーラル、ライティングの部分で高い自信を持っていることがわかりました。SELHiは能力が高いだけでなく、きちんと自信もついているということが言えると思います。

教室外活動では英語の本や雑誌、ホームページ、説明書を読む、英語音声の映画を観るなどの「リーディング・リスニング活動」と、日記やメール、カードなどを書くといった「ライティング活動」に分けて分析をしました(発表資料(2)12P参照)。やはりここでもSELHi以外の日本の高校生の自信の度合いが最も低く、SELHiは中韓よりも高くなっています。

高校入学後の情意変化はほとんどみられない

次に情意変化についてみていきます。2006年の日本のデータのみですが、高校の段階で英語が「好き」「嫌い」「(中学校の時に)好きだったのが嫌いになった:好き→嫌い」「(中学校の時に)嫌いだったのが好きになった:嫌い→好き」「どちらでもない」と答えた生徒の、GTEC for STUDENTSスコアの平均をみました(発表資料(2)18P参照)。やはり「好き」と答えた生徒の平均は高く、「嫌い」は低いです。また、「好き→嫌い」「嫌い→好き」「どちらでもない」と答えた生徒の平均はほぼ同じです。ですから「好き→嫌い」だと全体の平均程度に落ちてしまうし、「嫌い→好き」になっても「好き」ほどまでは伸びないわけです。さらには、情意変化する層は全体の10%以下で、高校に入る段階ですでに情意が固まっている様子がうかがえます。

動機づけと英語力、すなわちGTEC for STUDENTSのグレードとの関係についてもみてみました(発表資料(2)19P参照)。これは私が開発した動機づけ尺度から持ってきましたが「友好動機」「興味動機」「社会的承認動機」「状況必然動機」の4つがあります。「興味動機」は歌や映画等への興味である「一般文化」と、もう少し深い「言語文化」の2つに分かれています。一番上と下のグレードをみるとわかりやすいのですが、グレードの低い学生の特徴としては歌や映画への関心(「一般文化」)や、使えると便利だから、などの動機はありますが、それ以上に義務感、やらされている感を示す「状況必然動機」が高いのです。上位層になると「友好動機」「言語文化」への興味が高くなり、義務感は低くなります。ここが違いとなります。

積極的に英語を求めない日本の高校生

最後にまとめとして新学習指導要領との関連ですが、リーディングは1年生、2年生は伸びていますが、リスニングは3カ国とも全体的に低めです(発表資料(2)3〜4P参照)。日本だけが特別ではなく、アジア全体としてリスニングが弱いという気がします。小学校英語が導入された韓国では、かなりリスニングが高めの結果になっていますが、それでも二極化の傾向が見え隠れしています。この点について、新学習指導要領でどのように技能間のバランスをとっていくのかが議論のポイントになると思います。

さらに、日本の高校生は能力への自信が低いということも気になります。また、教室外で英語を使うことは比較的可能な状況にもかかわらず、積極的に使おうとしないのは、そこに消極的な態度や自信の低さが関わってくるからだと思われます。情意と能力は関連しているのです。高校の段階から情意を変えるのは困難ですので、やはり小中の段階でいかに肯定的な動機を育てるか。高校ではそれが難しいとなったら、直接的な動機への介入ではない形で何ができるのかを考える必要があると思います。その1つの手立てがCan-Doを通して自信を育てることではないかと感じています。

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テスト、英語教育、イノベーション
上智大学 渡部良典

authenticity「本当らしさ」をどこまで追求するか

渡部良典(上智大学)「テスト、英語教育、イノベーション」というタイトルでお話しします。このテーマを考える際にauthenticityがポイントになってくると思います。この言葉の定義はいろいろあると思いますが、日本語では「真正性」という、ややわかりにくい訳語があてられています。「本当らしさ」と言ったほうがいいかもしれません。これはテストにおいても非常に重要な概念です。「目標言語使用タスク」つまり実際の場面で使われるタスクが一方にあり、他方に多肢選択やインタビュー、プレゼンテーションなど色々なテスト・タスクがあります。これらが実際の使用場面とどう一致しているかについてみたとき、一致していればいるほどauthenticityが高いということになります。ただ、なかなか一致しないもので、これはやむを得ないことなのです。テストではどうしても人工的にならざるを得ない。教室でも同じだろうと思います。

他にはトピックのauthenticityもあります。教科書作成にあたっては、かなり考えられている点ではないでしょうか。たとえばオバマ大統領のスピーチなどを使う場合、それはauthenticだからと考えているわけです。タスクタイプや練習問題の種類、たとえば多肢選択式の問題、クローズテスト、穴埋め問題は、なぜ評判が悪いかというと、実際の場面でお目にかかることはなく、したがってauthenticではないからなのです。

教員間の指導方法の差が大きい

私は外国語のテストが授業や学習者にどういう影響を与えるかについて調査してきました。そのために授業観察やテストの分析をした結果、「指導内容は変わるが指導方法は容易に変わらない」ということがわかりました。つまりテストを変えたからといって指導方法が変わるわけではない。「教員間の指導方法、指導内容の違いは、試験間の違いより大きい」ということです。教師の違いはすごく大きいのですね。

同様のことがアメリカの事例でもみられます。アメリカでは最近、“No Child Left Behind”というスローガンが掲げられ、いわゆる落ちこぼれゼロ政策とでも言いますか、州ごとにテストが作成、実施され50程度のレポートも出ています。それらの州で目標基準を決めてテストを行い、それに満たない生徒が多いと予算が減らされるので、やはりテストというのは非常に大きな問題のようですが、そこでも同じことが言われています。つまり「同じ学校内での教員間の指導の差の方が、学校間の差よりも大きい場合がある」と。

「動機づけの理論」と「イノベーション理論」

「大学入試を変えれば中高の英語教育も変わる」というような考え方があるようなのですが、それはたぶん事実ではない。改善するために2つの大きな理論があると思います。1つは「動機づけ」の理論で、もう1つが「イノベーション理論」です。これはビジネスから来ている理論で、イノベーション――つまり改善改革を普及させるためにはどういう条件が必要かという研究です。

その条件には5つあります。まず「相対的優位性」。つまりイノベーションが、これまで行われてきたものより、よいものであると使用者が認めることです。ここで大切だと思うのは「認める=perception」です。2点目は「両立可能性」。私たちが現在行っている授業や考え方とあまりに違いすぎると受け入れられにくいということです。3点目は「複雑性」。これはコンテキストと言いますが、新しい考えを導入する際、あまりに複雑すぎると受け入れられにくいということです。4点目は「試行可能性=トライアビリティ」です。自分でまずそれをやってみることができるかどうか。最後は「観察可能性」。目に見えて効果が現れ、自分でも「これならいけそうだ」という感覚が持てるかどうかが必要だと言われています。イノベーションを機能させるためには、カリキュラム開発者は資料や情報を教師に提供するだけでなく、どのような効果を狙っているのか、どのような準備が必要なのかというような付随的な情報を教師に提供する必要があります。

さらに教師自身の知識、能力も常に向上させる必要がありますし、教員養成や採用試験なども改善する必要があります。それには教師自身がこのようなことに気づいて何が自分にとって足りないのか、何が自分にとって必要なのかを絶えず振り返ってみることが必要だと思われます。

私自身、1つの調査として教員の能力を測定するテストを作ろうとしています。これはペーパーテストだけでなく自己評価です。英語の教員に必要とされる英語能力、日本語能力、その他の言語能力、あるいは教師としての技能というものもあると思いますので、それらをはっきりさせたいと思っています。例えばNorris1)は、「言語に関する知識」「文化に関する知識」「指導に関する知識」「複合的知識」と言っています。「複合的知識」とはわかりにくいかもしれませんが、socio-cultural knowledgeやstrategy、communicating with students, parentsなど、コミュニケーションの能力も問われてくるでしょう。そのようなものを体系化したいと思っています。


1 Norris, S. (1999). Language Teacher Proficiency or Teacher Language Proficiency? : An Environmental Scan of Information Relating to the Competencies/Qualities/Knowledges Required to be an Effective Language Teacher. A Report Prepared for the NALSAS Taskforce.

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パネルディスカッション

英語に対する切迫感が少ない日本

根岸雅史(東京外国語大学)根岸 さて、我々3人(根岸・渡部・長沼)で話していきましょう。私自身、高校の英語教育に関してはいろいろと思うところがあるわけですが、高校に限らず日本全体で考えた場合、どうも日本には日本のトップの大学にいる学生で、社会のトップにいくことを目指していても、英語を使わなければならない、という切迫感があまりないように思います。
文部科学省の調査データの中(発表資料(1)11P参照)に、高校生は英語が必要だと感じているかどうかについての調査があったと思いますが、英語は他の教科と比べると社会に出て役に立ちそうだという認識はあるわけです。ところが、自分が実際に英語を使って働くと考えているかというと、その比率は非常に低く、中国や韓国と比べるとかなり低い。長沼先生、このあたり、韓国の事情はどうですか。

長沼 2006年に韓国に調査に行った時にいろいろインタビューもしたのですが、韓国の場合、英語ができないと大企業に就職するのはかなり難しいという社会状況があります。そこがかなり学習者の意識に影響していると思いますね。

根岸 日本の場合、高校生や中学生がなぜ勉強するのかということを聞いた調査でも、英語はやはり実際に使うというイメージは少なく、入試のためという答えが圧倒的でした。ところが、最初のBenesse教育研究開発センターによる調査データ(発表資料(1)7P参照)にもあったように入試の方法が多様化してきており、入試があるから勉強しようという動機づけは成り立たなくなってきているという現状があります。

渡部 私自身、将来必要だからという動機づけはあまり好きではなくて、それよりは今日の英語の授業で英語を使えてうれしかったとか、先生に褒められたとか、読めなかったものが読めたとか、そのような体験をさせてあげるほうがよいと思います。

「入試にしか対応しない授業」と「入試にも対応できる授業」

根岸 最近、中学校の教科書を見たのですが、今の教科書はかなりauthenticになってきています。ところが定期テストはどうかというと、ずっと変わっていない。授業だけがどんどん変わっていくけれど、テストだけが置き去りにされているような状況です。

渡部 大学入試について先生方にいろいろお話をうかがっていると、入試のための教育というのは実際に使える英語に一直線につながっていると考えていらっしゃる先生と、入試は入試、使える英語は別とはっきり分けておられる先生の両方がいる。前者の授業を拝見すると、入試問題を上手に使い同時に使える英語の力も鍛えようとしているのがわかります。中には、入試問題を使ってディスカッションをやった先生もいる。ライティングのタスクを使い、ゲームのように黒板にどんどんタスクを書かせたり、意見を書かせたり。入試や定期テストというものをもっと肯定的にとらえ、授業でうまく使ってしまうことが必要なのではないかと思います。

根岸 私もいろいろな学校の授業を見る機会がありますが、「入試にしか対応しない授業」を行っている学校と、「入試にも対応できる授業」を行っている学校とがありますね。入試にしか対応しない授業というのは、そのエネルギーが非常にもったいない気がします。日本の授業は割と教師の個人的な動機や思いつきに依存していますが、韓国はもっとトップダウン式なのかと思います。長沼先生、そのあたりご存じですか。

長沼君主(東京外国語大学)長沼 日本に比べると韓国の場合、教員間のライバル意識が強いような気がします。教員は同じことを同じようにやるというのではなく、もっと個性を発揮し、自分のクラスをより良くするというような競争意識があります。中には文法説明も全部英語で行うような授業もあり、本当に千差万別でいろいろなタイプの授業が行われており、一律ではないですね。

英語は実は技能系の教科?

根岸 なるほど。トップダウンといっても実態は多様かもしれないということですね。教師がどう変わるかということを考えるときに個人的に重要だと思うことは、英語力をどうとらえるかだと思います。その認識の違いが、どのような授業をするか、どのような教材を選ぶかのすべてに関わってくると思うのです。
この間、中学校を対象に調査を行ったときに、教科の好き嫌いについてのデータをとり、それを主成分分析にかけました。9教科を3つに分けることができ、1つは数学や物理のようなルールを適用する教科。2つ目が国語や音楽など鑑賞系の教科。そして最後が体育、技術家庭などの技能系教科です。英語がどこに入るのか。通常のイメージでは英語といえば文系のイメージですから国語のところかと思うのですが、一番強かった成分は数学と同じカテゴリー、つまり「ルールを適用する」というところでした。おもしろかったのは、技能系とは誰も思っていないということです。実は言葉を学ぶ中では使う練習が本当は重要なのですが、生徒のほとんどはそうは思っていない。もしかしたら先生のほうも同じかもしれないと思ったわけです。

渡部 まったくそのとおりですね。以前、医学部の学生に教えたときに、「英語は文系の科目だからダメでした」と言うのですが、そもそも英語を文系か理系かと分けること自体にあまり意味がありません。

根岸 先ほどの技能系の因子は、実は成績下位の生徒たちが好むところなのです。もしかすると英語が苦手と言っている生徒の中には、英語の授業をトレーニング系に変えていき、「今日は基礎トレーニングをやるよ」などともっていくと、もう少し馴染んでくれるのではないか。それを理詰めで説明してしまうとついていけずに落ちこぼれてしまうのではないか。そんなことも思いました。
日本人の英語力というものを考えたときに、やはり共通の認識としては、使えるレベルに至っていないという点をしっかり持っておきたいと思います。それは報告があったような韓国の状況などと比べてみても明らかですし、高校生の意識としては、漠然と将来必要になるという認識はあるにしても、自分の親が英語を使うところを見たこともないし、職場でも使っていなさそうだし、それでも生活は何とかなっているなと思えば、「そんなに勉強しなくてもいいのかな」と思っても責められないわけです。それに対しては、我々、英語教育に携わる者がもう少し危機感を持ったほうがいいのではないか、と思います。

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