コーディネーター | 吉田研作(上智大学) | |
実践事例 | 松井徹朗(北海道旭川北高等学校) | |
パネリスト | 和泉伸一(上智大学) | |
田中茂範(慶應義塾大学) | ||
金森強 (松山大学) |
(敬称略)
シンポジウム2では、松井先生による北海道旭川北高等学校での実践事例の紹介のほか、和泉先生、田中先生、金森先生からの発表と、フロアを交えてのディスカッションが行われましたので、その一部をご紹介します。
吉田 本プログラムの流れを簡単にご紹介します。最初は北海道旭川北高等学校の松井先生です。先生の学校ではすでに「SELHi(Super English Language High School)」とそれ以前の「教育課程研究指定校事業(外国語)」を通して5年間ほど実践的に英語を使った授業をなさっていますので、具体的にどういう授業なのかについてお話しいただきます。続いて、和泉先生には、英語で実際の授業を行うということはいったいどういうことなのか、ご発表いただきます。さらに田中先生には、テキストの中に文法というものがどのように入っていて、どんなふうに扱えばいいのかについてお話しいただきます。そして最後に金森先生には、新学習指導要領における指導について、小学校から大学という大きな流れの中でお話しいただきたいと思っています。
シンポジウム2の様子
北海道旭川北高等学校は2010年に創立70周年を迎える公立高校です。2005年度より2年間、国立教育政策研究所の「教育課程研究指定校事業(外国語)」、そして2007年度より文部科学省の「SELHi」の指定を受け、5年間にわたり、英語授業の研究に取り組んできました。研究テーマと研究内容は以下のとおりです。
<研究テーマ>
「英語で自分の考えを表現したり、情報や相手の考えなどを理解しようとする実践的コミュニケーション能力の育成」(国立教育政策研究所研究指定時)
「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や考えなどを的確に理解したり、適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。」(SELHi研究指定時)
<研究内容>1. | 必履修科目『英語I』『英語II』において、授業を英語で行うことを基本とする生徒のコミュニケーション能力の育成を目指す指導法の研究 |
2. | 選択科目『リーディング』において、「日本語を介さない読解力」及び「積極的に自分の考えを伝えようとする態度や表現力」を育成する指導法の研究 |
3. | 生徒の学習意欲を向上させる評価方法の研究 |
※指導のカリキュラムや、「Teaching Procedure」などは、北海道旭川北高等学校のHPに公開しています。
今回ご紹介した授業(DVD)は、どれも普段の授業の様子です。ここに出てくる5〜6人の教員の中に研究指定を受けるために集められたスーパーティーチャーは1人もいません。たまたまそのときに在籍していた教員です。
5年前に国立教育政策研究所から出された研究テーマは、「訳読授業をなくしていく」というものでした。私はそのとき49歳でしたが、それまで一生懸命訳読の授業を行っていたわけです。それを取り上げられてしまい、「どうしよう? 何をやればいいんだ?」と本当に戸惑いました。そしていろいろ考えながら、教員みなが試行錯誤した結果、今のような授業が出来上がってきたのです。
今だから言えますが、僕ら教員の間には、和訳も渡さないし訳読もしない授業なんて、そのうち生徒から苦情が出て、いずれ元に戻るのではないかという憶測もありました。もちろん、やるからにはきちっとやろうとスタートしましたが、絶対的な自信があったわけではありませんでした。それが、3カ月後に生徒に無記名のアンケートを取ったところ、生徒の方はその授業を受け入れていたことがわかったのです。「50分が短く感じる」「自分も参加しているみたいで、この授業を受けていればいつか自分も英語を話せるような気がする」などの結果が出て、もう訳読授業に戻ることはできなくなったのです。
それから5年かかりすべての学年に今のような授業が行き届きましたが、これは教員のほうに時間がかかったからで、生徒が今の授業を受け入れるのは実に早かったのです。
授業を行う上で我々が気を付けていることが2つあります。1つは、教員が英語を使えばよいということではなく、生徒にいかに英語を使わせるか、つまりコミュニカティブな活動が求められるのは生徒であるということです。その場合のコミュニカティブとは、口頭で行うインタラクションだけを指すのではなく、生徒の頭の中や姿勢がコミュニカティブな状態になっているか、も含まれます。
もう1つは、「授業の雰囲気づくり」です。生徒にとって息苦しくなく、何となく楽しそうで話しやすい雰囲気、失敗を許しあえる雰囲気などが教室内に満ちあふれているときが、結果として授業がうまくいくときなのです。そのためには、教師の励ましの言葉、適切な手助け、教師と生徒の相互信頼関係、さらには生徒が達成感を感じられる授業であるかどうか、などが不可欠です。
吉田 ありがとうございました。松井先生は、コミュニケーション能力の育成には、教師と生徒の間の相互信頼関係がなかったらできなかったとおっしゃっていましたが、まさに授業の様子(DVD)を拝見するとその通りだということがわかります。これはどのSELHiでも同じですが、全ての生徒たちが英語を流暢に話しているわけではありませんが、先生が言っていることをはっきり理解しているし、お互いが言っていることも理解しています。英語はまさにコミュニケーションの道具であり、単なる形として覚えるものではないという体験を実際にしている。そのような場面を見せていただけたと思います。
新学習指導要領では基本的にコミュニケーション能力を大切にするということは変わっていませんが、特に大きく変わった2つの点の1つは、教科を総合的なコミュニケーション英語にしたこと、もう1つが基本的に英語で授業を行うということですね。ここで、なぜ英語の授業を英語で行うべきなのかということを、常識とか当然とかと言う前に、私の専門である第二言語習得研究の立場から少しまとめてみます。
まず、言語習得におけるインプットの重要性ということについて言うと、第一言語習得、第二言語習得の両方でそうですが、インプットがなければ何も始まりません。よく勘違いされているのが、説明することがインプットだということ。そうではなくインプットは、その言語が意味を伝える上でコンテクストの中で使われているものでないといけません。
もう1点は、生のインプットの重要性。単なるインプットではなく、実際に先生がその場で使える英語を使っているということが非常に重要です。その場で使っていることでインタラクションも起こるし、先生のジェスチャーなどのすべてを見ることができる。「生」ということが非常に大事です。
それから、教師がモデル、ロールモデルになることが重要です。ネイティブスピーカーはモデルにはなれても、ロールモデルにはなれないのです。先ほどの松井先生のように、実際にそこで先生が英語を使って授業をしているということは、モデルだけを提供しているのではなく、ロールモデル、つまり目指すべき姿を実際に示しているわけです。これはノンネイティブの先生の特権であり、これを使わない手はありません。
さらにもう1点、“Children learn what they live.”「子どもは生きたままのことを学ぶ」ということです。つまり子どもは実際にそこで触れていること、見ていることを学んでいくのです。たとえば、親がいくら「本を読みなさい、本は大事だよ」と言っても親が本を読んでいる姿を見せたことがない、家の中に本がない、という状況では子どもが本を読むようにはなりません。これを英語教育に当てはめて言うと、「コミュニケーションは重要」と言うならば、実際にその姿を見せていくことが必要でしょう。
「(英語の)授業は英語で行うことを基本とする」ということに対しては誤解がいくつかありますので、ここで整理しておきたいと思いますが、まずこれまでの教師指導で形式偏重、説明重視の授業をそのまま英語で行うということではないはずですね。単なる言語の変換ではなく内容と教授法の転換が必要です。また、英語で授業を行うと生徒がわからなくなるという点については、当然そのためのティーチャートークやインタラクションを駆使した授業展開が必要になります。逆の勘違いとして、わかってもわからなくても、とにかく英語のシャワーを浴びせれば生徒は肌から学んでいくのだという考えがあります。しかし、第二言語研究において、わかりもしない言語を自動的に肌から学んでいくという理論は今のところありません。ですので、理解可能、かつチャレンジングなインプットが必要です。もう1点、日本語は絶対だめかという点については、太田先生と同じように僕も「気持ちとしては絶対だめだ」と思っていたほうがいいと思います。ただ、実際には効率を考えて日本語をさっと入れてあげることは非常に有効だと思います。
つまり、「(英語の)授業は英語で行うことを基本とする」ためには、これまでの授業へのアプローチを根本的に見直す必要があり、インプットとアウトプットの双方で質・量共に豊かな英語授業を展開していく必要があると言えます。
私がお話ししたいことは、文法の役割についてです。これは全部、新学習指導要領からの引用ですが大切なことは3点ありまして、まず、文法はコミュニケーションを支えるものである、ということです。それだけではなく、それを踏まえて言語活動と効果的に関連付けることが必要であると思います。次に、実際に活用できるものでなければならない。単に分析の対象として、教科としての存在では自分のものになっていかないと思います。3つ目に、文法といえば関係代名詞や分詞構文など、何かバラバラな印象がありますが、文法が本来の活動とリンクするためには、やはりそこにシステムつまり体系性がなければならない。
要するに、文法というものに定本はないのです。言語学にも英語教育にもない。ということは、我々一人ひとりが教育英文法という、より良いものを模索していかなければならない、と言えると思います。そして、どう文法を構築するかではなく、どのように実際の活動の中で教えるのか、つまり文法と読解のテキストを分離するのではなく、まさにテキストの中の文法性に注目したいと思っています。これはawareness raising、noticing、attentionなどいろいろな言葉で語られていることです。
前提として、文法事項の機能的特徴に関する理解については、先生が日本語であれ英語であれ説明する必要があると思います。そのときに、たとえばテキストの中でなぜここはそうなのか、なぜここで現在完了なのか、「あ、そうか」という感覚が大事です。これを無視してしまうとやはり知的好奇心を満たしていかないし、単なる活動だけで終わってしまいます。この「わかる」という感覚が、やる気や、学習の持続的な動機づけになるのだろうと思います。
では具体的にどうするかというと、テキストの中の文法項目の使われ方を注視する、noticingする、そしてその文法機能を意識しながら英文を理解していくということです。そのことで、日本語を通してでは絶対わからなかったことが「あ、なるほど、そういうことか」とわかってくる。これが非常に重要だと思っています。1つわかりやすい例を挙げると、現在完了形と単純過去形。現在完了形というのは明らかにhaveという動詞が現在形なわけですから現在との関連性がある。そして、何かなされた状態を現在の経験空間にもつということです。たとえば、タバコのパッケージには次のように書かれています。“The Surgeon General has determined that cigarette smoking is dangerous to your health.” Surgeon Generalというのは衛生局長官でしょうか、これがdetermineしたのは何十年前の話です。ところがこれがもし単純に過去形だったら、その効果は終わっている可能性があります。has determinedと現在完了形にすることによって、30年前のことでも現在との関連性が出てくるわけです。このような授業のあり方もあるのではないかと思います。
今回、いろいろなメディアが高校の新学習指導要領、特に、英語で授業をするという点を取り上げてくれたことについては、感謝したいと思います。というのは、そのおかげで今まで学習指導要領を見たこともなかった人々が見るようになったり、関心をもつようになった。それは大変ありがたいことだなと思っています。さらに、すでに小学校に外国語活動が導入されていることで、中学校、高校、大学という流れの中で、「高校はこうなりますよ」と取り上げられ、「じゃあ中学も変わらなければ」「大学も変わらなければいけないんじゃないか」という流れも少しずつ出てきたら大変ありがたいと思います。
ある農業高校でお話をさせていただいたとき、先生から「生徒が自分たちはこれから日本の農業を世界に発信していきたい、だから英語を勉強したいと言っている」とうかがいました。こんなふうに、他教科との連携、あるいはキャリア教育との連携も考えていただくと、もっと広がりが持てるのかなと思います。
フィンランドの学校を見学したときにも経験したことですが、特に小学校段階ではレセプティブレベル(受信)とプロダクティブレベル(発信)には非常に差があります。受信できるものは相当高いレベルですが、発信はそこまで高いレベルにはいかない。でも言い換えれば、受信のほうは相当高いレベルのものを指導していいということになります。アウトプットの授業だけを見て、こんな簡単なことしかできないのであれば日本の英語教育は伸びないね、というような心配は無用だと思っています。
そして、いずれ小学校で発信する意欲と音声受容語彙としての力をつけた子どもが育ち、中学校で高校の授業を意識したクラスルームイングリッシュを使うようになれば、高校でできることはもっと違ってくると思います。一方で、大学も高校に合わせて入試のやり方も変えざるを得ない。今回の新学習指導要領が次の大きな英語教育、外国語教育政策の変換・改革の第一歩となればいいと思っています。
吉田 本日はいろいろな先生方に、さまざまな現状についてのお話をうかがい、全体として非常に有意義なシンポジウムになりました。特に太田先生には新学習指導要領の真髄の部分について、どういう意図で書かれたのか、何が本当のポイントなのかをじっくり教えていただけたのではないかと思います。2011年から小学校が、2012年に中学校、そして2013年にはいよいよ高校が新学習指導要領に変わっていきます。実際、県によってはどんどん英語で授業を始めており、新学習指導要領の実施は完全に可能である、というところもいくつか出てきているそうです。そのようなことをうかがいますと、非常に幸先のいいスタートが切れているのではないかなと思いますし、楽しみだなと思います。それでは、最後にフロアからのご質問をいただきたいと思います。
質問 松井先生にうかがいますが、一切和訳を渡さないということで、生徒の方から不安とか不満は出なかったのでしょうか。
松井 生徒は高校の英語の授業とはこういうものだと思っていますので、特に不安や不満は出ませんでした。授業は「木を見て森を見ず」にならないように、まず森がどんな形になっているのかを想像しながら英文の全体をとらえ、あるときはスキャニングさせたり、必要なところだけを見つけさせたりというやり方でやっています。
今回のシンポジウムでは、日本の英語教育の現状について様々な角度から発表していただき、その上で今後どのようにしなければならないかということについて、新学習指導要領解説、SELHiにおける実践、第二言語習得、文法教育、そして英語教育のこれからの課題という様々な観点からお話しいただきました。
日本の英語教育は、今まさに岐路に立たされていると言っても過言ではないでしょう。今までのように、文部科学省の示す方向性と現場の実践がかみ合わず、結局は受験英語に徹していればよい、という短絡的で近視眼的な見方はできなくなってきています。現在の国際社会を考えると、自らの殻の中に閉じこもったままであれば、日本は世界から完全に取り残されていくでしょう。今回の学習指導要領改訂が、日本人がもう一度自らの存在を世界に示すため、それは単に経済だけでなく、外交や国際交流という観点からでもありますが、大きなきっかけになるようにしなければならないのです。