2012年上智大学・ベネッセ応用言語学シンポジウム報告書 | |
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吉田 研作(上智大学) |
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田中 茂範(慶應義塾大学) |
新課程・高校英語において「授業は英語で」行うことの意味について、教育課程という枠を超えて、これからの時代の子どもたちに求められる力という視点から考えました。
発表の概要
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田中 : | 「授業は英語で」行うとはどういう意味を持つのか。それは知識としての英語ではなく、経験としての英語を生徒に獲得させるということで、それは学習者として「いつか、どこかで、誰かと」使う英語ではなく、表現者として「いま、ここ、わたし」の英語を身につけるということである。すなわち英語教育というのは、教えるとか学ぶということでなく、英語力を鍛えるということである。 現在のような多文化を生きる状況下では何が求められるか。これは「たくましさ」と「しなやかさ」だろう*1 。「たくましさ」というのは、自分で考え、判断し、行動する力。英語教育においては自己表現力、自分のポジションを明確に表現する力。ただ、その場合、自分の常識を押しつけるだけではなく、対話する力も必要。これが「しなやかさ」だと思う。そう考えれば、多文化を生きる状況の中で個々人が世界的な視野を持ってたくましさとしなやかさを実践できるようにすること。これが英語教育の目標になるのではないか。 |
吉田 : | 英語力というのはとてもいい言葉である。そのような力を実際の教室でどう育てるか。今までの日本の英語教育は知識伝達型が中心だ。そのような状況で心配しているのは、日本語が英語に変わっただけで、結局は知識の伝達で終わってしまわないかということ。やはり生徒自身が自分で発言をする、表現していくという力をつけさせないといけない。そのためには、授業の中でグループ活動であるとかペアワーク、プロジェクトワークなど生徒たちがお互いに関わりを持ちながら一緒に共通のある目的に向かって言葉を使って何かをやって達成していく、そういうものがなければいけない。 |
*1 田中茂範・アレン玉井光江・根岸雅史・吉田研作(編著)
2005.『幼児から成人まで一貫した英語教育のための枠組み―ECF』 リーベル出版.
田中 : | 多くの中高生にとって英語は教科書の中にだけある。または日本語と英語との置換の中にある。しかし、教科書というのは英語の世界の扉であるという認識が大事で、そこから興味を深めたりしながら、生徒が英語の世界(English world)に入ってそこを探索(explore)するというスタンスを持てば、とてもexcitingな授業が考えられるのではないか。同時に、本来英語は人々の生活の中、日常の中にあるものだが、そういうリアリティのある英語というとらえ方が残念ながらできていない。このような中で、英語で授業をすることに強制力を持つということは大きな意味があり、少なくとも和文英訳を封じ込めることができる。しかしながら、英語で授業をすることを目的化してはいけない。目的は、英語教育、英語学習そのものを活性化するためであり、そのためには、教材も活動もauthenticで、meaningfulで、personalなものでなければならない。 |
吉田 : | 教師の立場というよりも学習者、生徒がどれだけ学ぶかという生徒の立場から考える。生徒が自分で考え、自分で英語を使って、自らの表現をしていくためにはどういう授業が必要なのか、そこを考えれば自ずとどんな授業をすればよいか見えてくるのではないか。 |
第1部 対談 |