コーディネーター | : | 吉田 研作 | (上智大学) |
パネリスト | : | 津久井 貴之 | (群馬県教育委員会) |
: | アレン 玉井 光江 | (青山学院大学) | |
: | 金森 強 | (松山大学) | |
: | 根岸 雅史 | (東京外国語大学) |
シンポジウム最後の本プログラムでは、英語教師50人へのアンケート結果を踏まえて、新課程のねらいに沿った指導をするにあたって先生方がお持ちの不安や課題について検討しました。
発表の概要
1. | 新課程・高校英語 先生方の抱える不安や課題
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2. | 「苦手な生徒は英語だけで理解できるか」―「英語が苦手」の真の意味 |
3. | 「苦手な生徒は英語だけで理解できるか」 |
4. | 「入試に対応できる学力をつけられるか」大学入試に対応できる力の育成 |
5. | 不安・課題からみえてきたもの―「まずはやってみる!」勇気を持とう |
質疑応答 |
吉田研作(上智大学)
ARCLEでは、新課程・高校英語に関して直接の聞き取り方式で、高校英語の先生方の声をうかがった
目的 | 高校英語の先生方の声を直接お伺いする | ||||||||
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方法 | 直接の聞き取り中心 | ||||||||
時期 | 2012年8月初旬〜9月上旬 | ||||||||
対象 | 高等学校英語教諭(常勤、非常勤)計50名 | ||||||||
<内訳> |
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その中で、次年度・ご自身の授業の中で英語を使う割合について聞いたところ「概ね使う」が2割程度であった。気になるのは、「あまり使わない」が3割弱であったことだ。恐らく、様々な不安や課題があってのことだと思われる。このアンケートの中で聞いた、授業を英語で行う上での不安・課題のトップ3には下記の点があがった。ここからは、これらの問題について検討していく。
金森強(松山大学)
英語が「苦手な生徒」は、実は苦手なのは英語だけではなく、考えることが嫌だ、自分に自信を持っていない、将来の夢がない…といったこともあるかもしれない。この根本的なことから考えていくことも若干必要ではないかと思う。そのような生徒には、まず、英語学習に興味を持たせ、高校の先生は中学の先生とは違うんだという期待を抱かせなければいけない。これまで英語は苦手だったけど、再チャレンジできそうだと思える雰囲気をつくってあげなければならない。英語の授業に興味を示さない生徒の多い高校で教師が生徒にアンケート調査をしたところ「文法が難しい」「単語を覚えきれない」という声が多かった。そこで、まずは、単語を覚えやすくする・覚えたくなるよう、絵もついたデジタルフラッシュカードを作って毎回の授業でゲームのように取り組む工夫をしてみた。半年経ったところ「前より単語が覚えられるようになった」「わかるようになった」という生徒が出てきた。英語への自信を取り戻せた生徒の授業態度は大きく変わったと言う。このような取り組みがまずはスタートだと思う。普段から、少しずつ工夫しながら生徒たちが学ぶことの楽しさに触れられるようにする教師の努力が大事だと思う。
また、他教科との連携も有効である。英語の授業の中だけで扱うことが難しいテーマも他教科でいろいろなことに触れ、考え、心が動けば取り組みやすくなる。受信活動を通して誰かに伝えたくなるような気持ちを育て、そこで発信するための英語が必要になり、英語の授業で発信する活動があれば一番スムーズに行くのではないだろうか。
最後に「コミュニケーション英語基礎」は全国の高校で取ってほしい。中学までの英語の力が十分ついていない生徒の多い高校の方が多いと思う。しっかりと中学校までに身につけるべき英語の基礎力を充実させるための指導を、まず少しずつ少しずつ英語でやっていくのが第一歩だろうと思う。「コミュニケーション英語基礎」の教科書を作った会社が1社しかなかったことは大変残念に思う。
アレン玉井光江(青山学院大学)
これからの時代、子どもたちにも求められる英語の力という観点から、2つの提案をさせていただきたい。その2つとは、英語に実際に接する時間が少ない日本で、いわゆる文脈の中で言葉を育てるmeaningful contextの重要さと、日本語でのコミュニケーション能力の重要さである。
私は8年ほど公立小学校の中に入り、担任の先生と共同で小学生に英語を教えてきている。その中でmeaningful contextの中で英語に接してもらうようにすることを柱の1つとして実践している。しかしながら小学校は今のところ週1回しか授業がないので、その限られた時間内でいかにして効果を上げるかを考え、ストーリーを使うことにした。Storytellingにおいてリスニング能力を伸ばし、さらに私がJoint Storytellingと名付けた活動において、聞いたものをretellingする活動をし、音声が確実に体の中に入った後にreadingに発展させるという活動を行っている。
第一言語、第二言語にかかわらず、意味のある文脈なしでは言葉の力は絶対に育たない。英語が文脈のある中で提示されることで、多量の英語を聞くことに耐える力を育む。また曖昧さに耐えながら学ぶことが大切であり、そこで学びに向かう姿勢を育てていくことができる。たくさんの量を聞く力を獲得した子どもたちには、自分でできるということを学んでもらうために、pushed outputである言わせる活動を行う。自分の声を出してそれを聞く、という聴覚からのフィードバックが言語習得のカギであると言われている。つまり話すことは話すことによって身につける。使って初めて彼らは言葉の深さに出会っていく。そして言葉が自分のものになっていったとき、子どもは「わかった」と感じる。私はこれをLanguage Ownershipと呼んでいる。これは吉田先生がおっしゃったことだが、「わかった」と決めるのは学習者である、と。すみずみまでわかる理解でなくても十分で、それを横から教師が「この辺が難しいから訳してあげよう」などとするのは余計なことである。
最後に、英語のコミュニケーション能力に深く関わると考えられる日本語のコミュニケーション能力10項目と、実際の英語コミュニケーション能力との相関について調査した結果を少し紹介したい。以下の10項目は英語コミュニケーション能力に深く関わると考えた、日本語のコミュニケーション能力である。
私立小学校の3、4年生合計224名にこの10項目について自己評価してもらい、(株)ベネッセコーポレーションが開発した小学生の英語コミュニケーション能力を測るテストGTEC Juniorを受けてもらって、その相関関係を調べた。その結果、日本語のコミュニケーション能力の自己評価の結果と英語コミュニケーション能力には、あまり強くはないものの相関関係があることがわかった。やはり日本語のコミュニケーション能力が高い子どもたちは、他人とどのように関わっていけるかを考えながら言葉を使っている子どもたちであり、そのような子どもたちには英語コミュニケーション能力も後天的についてくると考える。
以上のことから、英語が苦手というか、まだ学習を始めたばかりの子どもたち、すなわち英語力が低いと思われている子どもたちについても意味のある文脈の中で英語を育てていくこと、その基礎になっている日本語でのコミュニケーション能力を育てていくことで、英語コミュニケーション能力を高めることができるということを提案したい。
津久井貴之(群馬県教育委員会)
授業以外で大学入試に対応するためにどんな指導をしたかについて触れたい。まず、授業の中での言語活動を下支えする、基本例文・フレーズ集を作成して、いろいろなところで使わせた。ただリストを作るにしても、教科書から新出語をそのまま抜き出すというのではなく、生徒が表現する際によく間違うもの、自己表現に使いたいものなどにこだわって作成した。先日見学したある中学校の授業で、生徒は「サリバン先生のおかげです」という文を作りたかったようで、5人ぐらいがthanks toを使っていた。これは辞書を開いて「おかげ」を調べるとthanks to が出ているのでそれを使ったのであろうが、例えばサリバン先生を主語にして、help、take care ofなどが使えるといい。そして、リストに入れておけば、生徒は、「○○くんのおかげだ」などと言いたい時に使おうとするはずだ。
他にも定期考査のテストを、一度受けたら終わりにはせずに復習させるような工夫をした。長文だったら同じようなトピックの英文を読む、英作文をもう1回書き直してみる。こういった復習が下支えとなっていく。また、テストの復習と併せてノートの作成は是非お勧めしたい。授業ノートとは別の自主学習ノート。プログラム3の実践事例でも紹介したものだが、このノートに自己表現したものを書かせ、それを教師が校正する。それをもとに、最後の完成形を再度きちっとノートに書いてみる。あるいは模擬試験の模範解答などをもう1回自分なりにそのノートに書いてみるというのもいい。このように、基本的には授業を中心にすべてをつなげ、学び方を身につけさせていけば、後は自分でできるようになっていく。
根岸雅史(東京外国語大学)
学習指導要領の解説には、「授業を実際のコミュニケーションの場面とする」ということが書いてある。実際のコミュニケーションの場というのは、インフォメーションギャップやオピニオンギャップがあるのが普通だが、授業では皆が同じ教科書を持っていて、皆が内容を知っている。それを実際のコミュニケーションの場面とするにはどういう仕掛けが必要なのかを考えなければならないと思う。また、指導の中で言語活動を実際に行っていれば、日本語で授業を行うと日本語の言語活動になってしまうので、必然的に「授業は英語で」行われるようになっていく。
アンケートから浮かび上がった「文法は日本語で解説しないと生徒は理解できない」という点については「日本語で解説すれば理解できるのか」と考えると、そうとも言えないのではないか。そもそも文法用語がわかっているのかという疑問もあるし、文法の説明と言ったときに、文法の形式の説明なのか、その文法形式の持つ意味の説明なのかによっても判断が違ってくる。「英語で行う授業」において大切なのは、後者の文法形式の持つ「意味」を文脈の中で説明することではないだろうか。
「苦手な生徒は英語だけでは理解できない」場合に、日本語を使えば理解できるのか。そもそも英語で授業をしようとしたときに無理なレベルの、難解な教科書が採択されている可能性がある。ということは、そのような教科書では、日本語で説明してもたぶん理解できない可能性がある。つまり、学習者のレベルと教科書のレベルが乖離してしまっている。学習者のレベルにあった教科書を選び、英語で教えて理解可能な授業をしていく必要がある。
「入試に対応できる学力をつけられるか」について。大学入試というのは実際には、高校で指導していることの一部しか問われていないにもかかわらず、それが高校での学習や指導を規定してしまっている。大学入試自体が変わらなければならない側面はあるものの、真の英語力があれば解けない問題はない。その真の英語力を育成するのは、高校での英語の授業。妥当性のない難問・奇問を解くための学習は意味がないし、そんなにめったにでない悪問に対する準備をしてもそこから得るものはない。そんなことにエネルギーを使うのは、もったいない。
最後の問題として教師の英語力について、やはり英語教師には、調べたことについてまとまりのある話ができたり、自分の仕事や専門分野に関しての講義や発表などを聞いて、それについて質問したり、自分の考えを述べたりできるようなレベルの英語力は必要。教師は完璧な存在のようにみえるが、間違わないと教師の学習も進まない。英語を技能として考えると、教師自身も勉強していかないといけない。そうすることで変わる授業観というのもあるのではないか。そして、まずは「えいやっ!」とやってみることが、一番大切な気がしている。